2006年 02月 26日
昨今の右寄り世論と古事記の天宇受売神(あめのうずめのかみ)
 ネット上でも、マスコミ上でも、ヒステリックで排他的、攻撃的な意見がよく見られるようになった今日このごろ。経済的にも、政治的にも、法律的にもギスギス余裕が無くなってきていることの証左か。

 古事記にあるように、天照大神が機嫌を損ねお隠れになったとき、天宇受売神(あめのうずめのかみ)が天岩戸の前ですっぽんぽんになって踊りをしたことで、大神が機嫌を直され、再び姿を現したという神話を持つのがこの日本じゃないですか。
 確かに、アングロサクソン的“グローバリズム”や“中華”共産政府に対抗するのに力が必要かもしれないが、額にしわよせたキリスト教選民原理主義や唯物思想に対抗するのに、同じ土俵で相撲をとることが、はたして今後の日本の勝利につながる事なのか。

 天宇受売神(あめのうずめのかみ)の裸踊りのような、おおらかな反撃にこそ勝機があると、個人的には考えているが…。

 このまま、排他的でヒステリックな“愛国”が跋扈するようだと、近いうちに第二の“昭和二十年八月十五日”を迎えてしまうのではないか。日本の現状を憂い、告発することが“自虐”などという意見が大手をふるっているのは、大本営発表の戦勝報道を鵜呑みにし、戦争に対して疑問ををとなえる意見を非国民とバッシングしたことと、いささかも変わっていないのではと思えてしょうがない。

 オカルティックな観点から眺め、国家的カルマというものから考えてみると、蹂躙された側、植民地にされた者の気持ちを、我々日本人に理解させようとする不可避的な見えざる力が今の日本を動かそうとしていると、思わざるをえない最近の政治経済の動きである。

 過去の自民党政治には、アメリカの言うことを聞きつつも、その中で最大限の日本の国益を引き出そうとする意志があったにもかかわらず、特に'85年のプラザ合意以降、日本の国益は二の次で、政治家や官僚の保身が第一だという方向へ舵をきったのではなかろうか。行き着いたはてが小泉首相と竹中大臣である。当ブログで過去に書いた『日本がアメリカの植民地にされてしまった』というのは自虐でもなんでもない単なる事実認識にすぎない。それに気がつかない人々が、右左関係なく提示されたこの国についての本質的な議論を卑近なものに貶めてしまっているように見える。まことに嘆かわしいことである。

 天宇受売神(あめのうずめのかみ)の踊りが今こそ必要な時であると考えるが、今の日本では理解され得ないであろうと悲観せざるを得ない今日この頃…(抽象的ですいません。比喩的表現だが、要は素っ裸で踊りを踊って相手に喜んでいただくということである。武装して無理やり引きずり出すのでもなく、どこかから金品を持ってきておびき出すのでもなく‥)。
 話はいきなり跳躍するが、やはり御所が東京にあるということは、日本の政治、文化にとってはおおいなるマイナスなのかもしれない。速やかに京都に御所をお戻しいただくよう希望します。
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by darsana-te2ha | 2006-02-26 17:04 | 世界情勢


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