2006年 03月 12日
戦争と家族。「無言館 戦没画学生『祈りの絵』」
 仕事にちょっと余裕が出てきたので、久しぶりに図書館で仕事の資料用以外の本をも借りてきた。その中の1冊が「無言館 戦没画学生『祈りの絵』」窪島誠一郎著 講談社1997年刊、というもの。

 窪島氏は、信州上田の信濃デッサン館の館長さん。先の大戦で命を落とされた美大生や画家の絵を集めた「無言館」の館長さんでもあられる(かつて仕事の取材でお会いしたこともあって、なんとなく親近感があり、この本に手が延びた)。そこの収蔵品を集めた画集になるわけですが、その中の伊沢洋さんの「家族」という絵に目をひかれた。

 友人に能力の高いチャネラーのコがいて(オカルト話が苦手な方、すいませんね。でもこれは 書くべきかなと思いまして…)、彼女が十数年前、先の大戦で日本兵が大勢亡くなられた南方の島へ出かけたことがあった。帰国後、島での体験を聞かせてくれた。

 島では大戦中に日本兵として亡くなったまま、成仏できずにいる方々が沢山いらっしゃったそうだ。その中の1人の方と交信というかお話をし、その中で、一番欲しいものはなんですか?とお尋ねしたところ、日本に帰って、一度でいい、ご両親そしてご家族といっしょに一つのテーブルで甘いお菓子を食べながら熱いお茶を飲みたかったとおっしゃったそうだ。

 その時の話しを、この絵を見て思い出してしまった。

 日本から何千キロも離れた南の島で命を引き取るときによぎった思いが家族とお茶をするという、日常のなんてこともない行為であったということ。

 家族ってなんだろう、こんなにも人の心に深く刻まれてしまう家族って一体なんだろう、ということを強く強く感じてしまった。
 そしてこの話しを思い出すたびに胸が熱くなり目頭がうるうるしてくることを未だ押さえることができない。自分の中にある、欠落した何かと同調してしまうのかもしれないんだけれど……。

 人類の有史以来、人の作った武器によってこれだけの規模の大量殺戮が行われたのは20世紀になって初めてだそうです。
重慶で日本軍が行ったことが、東京ほか日本各地でアメリカ軍によって行われ、また世紀が変わった今日、イラクでも行われていて…。

 そして、戦場で死んでいった者の最後の思いが家族であったという上記の友人からの話。

 これらを一つに出来る思想なり思いを、自分の中でまだ形にすることが出来ていない。でも、娘と2人で日々ともに食べ、会話をし、暮らすことで、南の島で無念にも命を落とされた日本兵の方々の思いの一端を、たまに思い起こしては噛みしめる私でありました……。

追記(06.04.14):
 終戦時15歳で、学徒動員で、勉強そっちのけで各地を転々とさせられただったうちの父は、最近の靖国についての世論を見聞じ下記のように感じたと言っていました。

 国の方針で日本からはるか遠く離れた地に出征させられ、その地で道半ば若くして命を落とされた方々の、いまわの際の思いを想像してみると、はたして天皇陛下万歳と言って本当に喜んで死んでいった兵隊さんは何人いたのだろうかと思う。靖国に祀られることも、全員が喜んでいるとは思えない。最も大事なのは、残されたご遺族の方々が心をこめて各人の墓前で手を合わせ心を通わせることではないか。靖国についてのあれこれに、エネルギーやカネを費やすより、一体でも多くのご遺骨を本国に戻してさしあげることが、亡くなられたご本人にも、ご遺族にも、国として出来うる最大の償いなのではないか、と言ってました。
 特攻隊で散っていった若者たちも、ごく普通の若者であり、ちょっと年上の先輩であったそうです。上官の命令だったので、喜んで行ってきますと言って出撃したのだろうが、その心中を察するに、若くして家族や友人と別れ死なねばならなかった思いはいかほどかと、つらくなると言っていました。
 
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by darsana-te2ha | 2006-03-12 15:32 | いろいろ感想文


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