2006年 03月 20日
「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄氏の言葉
 ご存知の方も大勢いらっしゃるかとは思いますが、明治、大正、昭和と衆議院議員を務められ、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄氏の言葉が、今日の日本にたいへん意味のあるものではないかと思い掲載させていただきました。
 氏は、若い時代には「尚武論」や「支那征服論」を唱える強硬論者だったそうですが、第1次世界大戦後欧米諸国の実情を視察し、「国家のためといわれてだまされて、結局、国家をも人類をも亡ぼすものであるのに、あんな破壊をやるというのは人間というものは実にあきれた馬鹿なものだ」と悟り、それまでの国家主義を排し「廃国置州論」を主張するようになったそうです(http://www2u.biglobe.ne.jp/~shimin/ozakiou.htmlより)。

尾崎行雄(おざき ゆきお)(1858~1954)
(年譜はこちら

『墓標に代えて』(昭和7年)より。
(以下引用)
世界の土地と資源は、全人類のために利用せらるべきである。この地球は、独りアジア民族のために創造されたものでないと同じく、ヨーロッパ民族のためにつくられたものでもない。人類はすでにこの真理を理解し始めており、時代の進歩するに従って、よりよくこれを理解するようになるであろう。この世界的認識に対するおもな障害は、各国が、富と権力において他国を凌がんとする狭隘な野心をもつことである。この野心が各国を支配しているかぎり、世界的平等への進歩は行われない。・・・

孤立主義や門戸閉鎖主義は、広大な領土と巨大な資源を有する英国や米国、或いはソ連や中国などには可能であるが、これらの国々とまるでちがった環境にある日本には適しない。日本は、富と人との世界的交流をはかり、『門戸開放政策』の先導者になる方が有利である。この目的を達するには、日本に高尚にして神聖な精神を注入しなければならぬ。かくして日本は、弱小民族を援助することによって、偉大なる正義への道を歩むこととなろう。

これこそ世界を救済するのみならず、日本を救う道である。日本の運命は、日本がこの方向をとることに成功するか否かにかかっている。現在の日本は、生死の関頭に立っている。日本は小国の先頭に立って、正義への道を進まんとするか。はたまた大国の進みつつある狭い道にふみこんで、彼等とその運命を共にせんとするか。
(引用以上)

尾崎行雄『わが遺言』(昭和26年)、『尾崎咢堂全集第十巻』304頁より。
(以下引用)
要するに国家というものを中心にして、個々に迷信的歴史と事実に背いた理屈を持って、国民性とか、国家主義、祖国、民族というようなものに重きを置いて、国際的発展を妨害している以上は、やはり第三次の世界戦争は起こるのである。・・・世界はいよいよ小さくなり、人の力はいよいよ大きくなる。大きな力を小さな世界で衝突のために用いるということは自滅するより外に到着点がないのである。そのくらいのことは子供が考えても分かるのだから是非その方針で、国家主義とか民族主義などという小さな考え方をやめて、世界を一家となすような教育を施さなければならぬ。・・・空においては空の境はない。海においても実際は境はない。海の底まで潜航艇で走り回っておるというようなことで、将来はもっとだんだん境が減る。天の境、地の境、海の境はみな無くなるのである。・・・心を広くして、人種や国の境を説かないように特別に力を用いらなければならぬはずである。
(引用以上)

尾崎行雄『わが遺言』(昭和26年)、『尾崎咢堂全集第十巻』287頁より。
(以下引用)
・・・戦争を避けんとするなら、軍備を撤廃すべきであるが、近頃の国と国との対立では、相手の軍備よりもさらに強大な軍備を持つことが、戦争を避ける方法であるという驚くべき例外も現れてきた。・・・戦争を激発する根本はやはり国家である。国家と国家の対立が軍備の拡張となり戦争を起こす原因となる。世界から国家というものがなくなって、・・・国の代わりに県とか郡を置く。ちょうど日本の明治維新当時における廃藩置県の如く、あるいは各州からなるアメリカ合衆国ができた如く、世界というものが一つの国家になる。もしくは世界が一家になってしまえば、強大な軍備の必要もなく、したがって戦争の起こる心配もなくなる。

私は、軍備または武装というものを、各国とも極最小限度の、すなわち今の警察予備隊の程度のものとし、世界から戦争をなくするための理想として、世界政府または世界国家とも称すべき「世界連邦」ということについて、真剣に考えておる。・・・世界が一つになれば、各国共有の簡単な軍備が一つあればよい。各国には殺人や強盗を取り締まるための警察官か、あるいは内乱などの勃発に備えて警察隊のようなものがあればよい。(私の世界連邦案は単に軍備の問題ばかりではない。法律も、通貨も、言語も、教育も、居住も、暦法もことごとく共通なものが用いられ、風俗・習慣・文化等は各々尊重せられる。経済的な負担は極めて軽少で済み、一切の便利重法を享受し、平和な人間生活を営むことを理想とする。この理想を拒むところの、国家至上主義説、選民思想、人種的偏見、政体の不画一、経済イデオロギーの相違、国家的利己心、唯物論等は相容れぬ事はもちろんである)
(引用以上)
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by darsana-te2ha | 2006-03-20 01:49 | お金、政治


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