2006年 03月 27日
米軍司令部座間移転を憂う。-2 補足
 先日書いた米軍司令部座間移転を憂う。-2の補足です。石原莞爾氏についてです。
 ちょっとでも戦前の軍人のことを批判無しに書くと、攻撃の対象にされちゃいやすいんですが、以前も書きましたが、彼を100%讃えてるわけではありません。戦前の日本は自国のナショナリズムを他国に押し付けてしまったことは事実ですし、その狭隘さを大いに反省すべきだと考えています。ただ、冷戦後、大国の角逐がかまびすしい現在の世界や日本を考えるのに、多くの示唆を彼がなげかけているように思います。下記にありますように彼は終戦後、先の大戦について大きく反省しておりますし、迷惑をかけたアジア諸国に対しても詫びの言葉を発しています。軍人でありながら、究極の目標を恒久平和に置いた彼が、憲法9条下での具体的な安全保障策についてどう発言したか興味があります。なのでもうちょっと長生きしていただきたかった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/6_untiwar/saji.htmより。

(以下引用)
 すなわち、昭和陸軍が生んだ最大の天才(戦略家)といわれた石原莞爾が、終戦後、持病の悪化で東京の逓信病院に入院していたとき、東京裁判のため来日していた連合国の検事に尋問を受けたことがあった。
 そのとき検事(アメリカ人)が「戦争犯罪人(いわゆる「戦犯」)のなかで、いったい、だれが第一級と思うか」と訊ねた。それに対して石原は「トルーマン(当時のアメリカ大統領)」と答えた。
 石原は、その理由として、トルーマンが国際法の規定を無視して、一般市民、つまり非戦闘員の無差別大量虐殺(広島・長崎の原爆投下を含め100万人近くの市民を殺した)を行わせた点をあげた。そして「このトルーマン大統領の行為こそ戦犯第一級のそのまた第一級に価するもの」として、連合国検事に、彼を戦争犯罪人として告発したのである。

 ついで検事が「日本の戦争責任は、日清・日露戦争までさかのぼる」と述べたとき、石原は「それならペリーをよんでこい」といった。無学な検事はペリーの名を知らず「ペリーとはだれだ?」と反問した。
 石原は検事に次のように教えた。すなわち、ペリーは鎖国政策のもと300年間、他国に一切迷惑をかけず平和に生活していた日本に、黒船(艦隊)を率いて開国を迫った人物である。
 日本(江戸幕府)は、その艦隊の脅迫でやむをえず開国し、君らの国と外交関係をもったところ、君らの国が例外なく侵略主義や帝国主義の恐ろしい国々であることが分かった。そこで日本も、植民地化を免れる(生き残る)ため、やむおえず君らの侵略主義や帝国主義を学ばざるをえなかった。
 したがって、太平洋戦争の戦争責任が、もし日清・日露戦争にまでさかのぼるとすれば、日本を武力(艦隊)で脅迫して開国させ、かつ侵略主義・帝国主義を教育した元凶であるアメリカの水帥提督ペリーを承認として喚問せよ・・・。
 このように述べて、彼は勝利者側からの、いわゆる戦犯や戦争責任の追及のナンセンスさを皮肉り、検事をグーの音も出ないほどやりこめたのである。

 ちなみに、この石原は、太平洋戦争について、軍人として、原因と責任についてもっとも深く反省した人物の一人であった。彼は、世界最終戦論(東方の王道文明と欧米の覇道文明とが武力対決し、その結果、戦争のない恒久平和が実現される・・日米軍事対決はその文脈での世界最終戦争だとする)の論理が、日本軍部の早過ぎた軍事対決によって破れたことについて、自分の論理の構造的な弱さを自己批判した。そして、核戦争の脅威のもとに世界が苦悩する時代を「最終戦争時代」と定義し、非武装国家日本が、この危機の時代をいかに突破し、世界の真の恒久平和確立に貢献するかについての戦略を構想しつつ世を去った。
(引用以上)

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by darsana-te2ha | 2006-03-27 03:12 | 世界情勢


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