2006年 06月 10日
ラジカルなパラダイム転換へのヒント。
 やっぱり、おかしい、こんなことってあるんか? ってなことが跳梁跋扈してる今日この頃ではありますが、これまでの対症療法では対処しきれない悪=膿が世界中に現れてきているように見えます。

 この危機を越えていくのに、これまででは考えられなかったようなラジカルなパラダイム転換が、実はへたな対症療法より有効なのかもしれないとも思います。

 一人一人の意識の変革が急速に進んでいるのではないかと、特にネットの中の皆さんの言説を読んでいて強く感じます。まだまだマジョリティにはなっていないのかもしれませんが、ポジティブな萌芽を感じているのは私だけでしょうか? 以下、最近私が個人的に感じ入った、新しいパラダイムへのヒントとなるような内容の記事を集めてみました。いつもとはちょっと違った切り口の内容ですが、よかったらお読みになってみてください。

hiwaの恥かきページ「コミュニケーション有能への進化(33)」より

(以下引用)
そうではなくて、あらゆる人がトレードの成功を基盤に生活を構築維持しなければならない、という考え方そのものが異常だ、と見なすべきですよ。そもそも、伝統的に(歴史上のどの時点どの地域を見ても)トレードとその成功は特殊なものです。普遍、ではない(トレード強迫は、トレードとその成功を普遍と考える)。「市(いち)」が立つ日は決まっていた。しかも、トレードに参加しない人もいるし、参加できない人もいるし、ちっとも成功しない人もいる。それがむしろ、ふつうです。
ましてや現代の日本社会のような社会は、それほど多数の常時労働者を必要としていない。そのぶん、労働予備軍の層が厚くなっている。昔のように、あるいは今のアメリカのように、戦争への動員を余剰労働人口のはけぐちとするわけにもいかない。※それは憲法第九条がどう改悪されようとも、断じてごめん被りたい。

〔※:かつて日本が侵略戦争に突き進んだ大きな動機のひとつが、次三男対策、つまり土地を継げない(==有償労働の源泉としての農地がない)次男三男に満州の土地を与える、だったことを思い出そう。この例に典型的に見られるように、トレード強迫は戦争の原因にもなりえるのだ。)

だから真の問題は、政治の制度なども含めて社会の総体の態度として、ときに薄くなり厚くなることもある予備労働人口の待遇をどうするかを、正面きって前向きに考えることである。生活保護が、内容的にもイメージ的にも、きわめて後ろ向きで暗くて人格虐待的なものであるならば、廃止して、ベターな、受給者が恥ずかしさや後ろめたさを感じることのない制度に改めるべきである。

(トレードによる代価を得る)労働をしていないことが恥なのではなく、そういうトレード的労働をしなくてもよい人びとがつねにかなりの数いる状態こそが、社会の状態として正常なのだ、という認識を、本人も、そして周囲の全体も、持つべきである。
トレード強迫から解放されて、気楽になるべきである。たまたまトレード的労働していない人も、堂々と毎日の人生を送るべきである。健康で元気ならば、地域のボランティア活動等としてやるべき無トレードの“労働”はいくらでもある。が、それすらも、強迫的にやる必要はない。

(引用以上)


気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板「173]「会員からの「『金利(=強欲)、拝金の思想』を否定する思想の試みのメールがありましたので、転載します。」より。
(以下引用)
 金利否定論は、道教の思想と通低するものであり、岡倉天心のいう「アジアは一つ」とも共鳴する、思想的起爆剤だと思います。お考えの今後の展開を期待しております。
(中略)
金利の否定へ、を私の本気で、これから考えます。実際には、否定し去ることは、極めて出来にくいものです。 現在の、諸制度をまるごと改変しないかぎり、その実現は、できないでしょう。 エネルギーが解放されて、ただでエネルギーが誰にでも使えるようになることが、その第一歩だろう、ぐらいに私は思えます。
(引用以上)


創業夢宿「創業夢宿ライブ『第2章 考えて“考え”を消去する』」より。

(以下引用)
今、さまざまに迷ってるでしょう。政治の世界でも、中東で典型的に現われているように、政治的なかけひきも、もうどうしようもない。政治的なテクニックが通用するかと思ってやってみると、通用しない世界もあると。それからもちろん、それ以前の武力、軍事力も通用しない世界があることがわかった……核の世界。究極化してくる。究極の世界にいくと、科学が究極の本体論に突入しようとすると崩壊するのと同じように、軍事力も究極にいくとそれ自体の働きは崩壊するんです。政治力も究極にいくと崩壊する。もともとかけひきにならないんですよ。今の状況を見てても、経済力も究極にいくと崩壊するはずです。お金もね。誰かお金を儲けてみればわかるんですよ。どんどん儲けて、仮に何兆円、何十兆円、何十兆円のまた何兆倍儲かったら、ついには意味をなくす。いくら儲けてもある地点までいったら、もうそれ自体は資本力としても、購買力としても使えない。儲けるということは、この地球上のお金の量は有限だから、貧乏な人が増える。儲ける人が儲ければ儲けるほど、市場の購買力は下がるはずです。買う力のない人が増える。だから、お金を儲けるということは、それ自体が究極のお金儲けになった時には、効果が消えてしまう。究極の軍事力は使い物にならなくなるのと同じように。これから出てくるのは、究極のお金の力……これはもう使い物にならなくなるんです。それに近い状況に今、なってますからね。 そういうことから見て、経済にしても、文化にしてもそうですよ。芸術にしても、科学にしても、究極までいこうとするでしょうね。だけど、究極なものをつくってごらんなさい。芸術も、面白くもおかしくもなくなると思うんです。今よりもっと複雑な音楽をつくったって、聴いて楽しくならない。どんなに複雑な、何千、何万、何十万集めたような膨大なオーケストラをつくってみても、それ自体の芸術性が高まって聞こえるかというと、そうじゃないと思うんです。絵にしてもそうでしょ。今までのあらゆる絵の形式を合成した最高度のテクニックの、この世のものと思われないような絵をつくってみたとしても、いくら見ても面白くもおかしくもない段階にいくと思うんです。究極化すると芸術も行き詰まる。科学もそうですね。科学も、どんなに法則をたくさん見つけても、行き詰まってしまう……その行き詰まりの理由には、あとで触れますけれど。科学も芸術も、もちろん技術もそう。技術もやっぱり科学から出てくるわけですから。これも便利なもの、進歩したものに限りなくいけばいくほど、複雑な技術ほどよいという考え方は、行き詰まってしまう。これが21世紀だと思うんです。複雑なものが行き詰まってくる……ズバリ言えばもっとシンプルな、宇宙的でシンプルなものが出てくるのが本体論の世界です。シンプルなものが出てくる理由が見えてくるんですね。ただ単に、今までの複雑なものが行き詰まってシンプルなものが出るんじゃない。シンプルなものが本当は、一番あらゆる役に立つ理由が、これから見えてくる。その予感が今、いろんなところに現われていると思うんですけどね。
(引用以上)

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by darsana-te2ha | 2006-06-10 01:51 | 世界情勢


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