2006年 08月 03日
新自由主義化先行国アメリカで進行する内部矛盾-2
 「新自由主義化先行国アメリカで進行する内部矛盾-1」からの続きです。

 前回「新自由主義化先行国アメリカで進行する内部矛盾-1」では、新自由主義的な手法で資本主義経済をさらに徹底化させることで、いわゆる「勝ち組」「負け組」の両者ともに経済活動に翻弄され、地域コミュニティに根ざした人間的な生活が破壊されていってしまうことが、新自由主義化先進国アメリカで見られるという内容を引用しました。今回はさらにその続きです。佐伯啓思著「成長経済の終焉」(発行:ダイアモンド社)p246~247から引用させていただきます。

(引用開始)
 果たしてこれは幸せな社会なのであろうか。本当に「豊か」だといえるのであろうか。いや、何をいまさら、わかりきったことだったのではないか、とついわれわれは思ってしまう。だが、問題の焦点は、誰もがそのことをわかっていながら、どうしてもそれをおしとどめることができない、という点にある。この問題の本質は、こうした事態がとどめようのないメカニズムの中で進行しているということなのだ。
 (…中略…)またここで、企業の新たな利潤獲得の戦略や資本家の利益獲得を攻撃しても仕方がない。問題の本質は、ライシュが適切に述べているように、いっそう便利なものを、いっそう安く手に入れようとする消費者の欲望の自動運動にこそある。
 この押しとどめようのないメカニズムを生み出しているものは、かつてマルクス主義者が述べたように、資本主義の搾取のメカニズムでもなければ、企業の陰謀でもなく、豊かになればなるほどさらに欲望を膨らませるわれわれの欲望の運動の側にある。確かに「すでに持っているものが多いほど、必要だと思うものも多くなる」(ライシュ)のだ。この消費者の欲望の自動運動がある限り、われわれは所得を得るためにますます忙しくなる。
 「消費者」として利益を受けようとすればするほど、「勤労者」としてのわれわれは自由な時間や家族との時間を犠牲にせざるをえない。しばしば、市場競争を擁護するものは、それが「消費者」のためになる、という。そして、そのことは大方の支持を調達しやすい。しかし「消費者」のためにとは、「勤労者」や「サラリーマン」には、リストラや労働時間の延長、労働の強度という点で大きな負担を与えることになる。しかし、実際には、「消費者」と「勤労者」は同一人物なのである。ここに、人間を一個の全体的なものとしては見ずに、「消費者」と「労働者」という機能において分割して捉える経済学の限界が露呈されている。
 ここでわれわれは、ライシュとともに、ただ戸惑い、そのあげく、皮肉な調子で「仕方ないや」とつぶやかざるをえないのであろうか。だが、答えの半分はすでに出ているのではないだろうか。グローバルな競争へ邁進するのではなく、家族や地域コミュニティを再建すること、医療や「気配り」のきいたサーヴィスを充実させること、雇用の安定を確保し、経済の不安定やリスクを最小化すること、こうした目的のために、知的な資源を公共的に投資すること、つまり、「新たな社会」へ向けた社会生活のインフラストラクチャーを充実させること。そのことこそが真の「ポスト工業社会」の課題というべきなのである。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)


 上記引用文中最後の部分にあった“「新たな社会」へ向けた社会生活のインフラストラクチャーを充実させる”ためには、新自由主義者が言うように市場という“神の手”にゆだねることでは不可能であって、政府による社会の方向付けがどうしても必要だそうです。そしてそのために有効になってくるのがケインズが提起した経済理論だということです。そのへんについては後日書こうと思います。


 「新自由主義化先行国アメリカで進行する内部矛盾-3」に続く。
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by darsana-te2ha | 2006-08-03 01:55 | 世界情勢


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