2006年 09月 14日
人類史的必然としてのイスラエルとアメリカの敗北。-1
 ネオコンを中心としたアメリカによる世界ドル支配継続の具体的な方法は、まず中東の石油を押さえ、次に中国を押さえるというものだそうですが、奇しくも中東、中国という両地域にはイスラム教と道教という、反ユダヤ・キリスト教的な、より自然や人間の本音に近いという思想が底流にあることです。
 近現代において、世界をリードしてきたであろう価値観――自他を区別し、その上で自らの取り分を最大にしようとするユダヤ・キリスト教的な個の思想――の限界が、今や明らかになりつつあるのではないでしょうか。
 実際、ユダヤ・キリスト教的価値観を拠り所とし、金融・軍事を武器としたドル基軸通貨体制やカジノ資本主義によっては、環境面でも人心面(反米、反イスラエル感情の噴出)でも、近い将来に立ち行かなくなるだろうと思われます。
 その面から考えていくと、アメリカやシオニストによる対中東、中国戦争は人類史に対する反動、もしくはご臨終前の断末魔に見えてしまいます。
 マクロで歴史を俯瞰し、たとえば100年後200年後に20世紀終わりから21世紀初頭を振り返ったときに明らかになるだろうと思いますが、アメリカ・イスラエル連合による中東での敗北は歴史の必然であろうということです。

気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板・副島隆彦氏による書き込みより

 イスラム教には偽善が無い、ということが重要だと、私は考えました。神道(本当はすべて道教)、仏教、儒教 のこの神・仏・儒そして、キリスト教 のこの 4つが駄目なのだ、と私が、船井幸雄論で断定したのは、この人類の4大宗教は、僧侶(偉い人、修行者)たちに、性欲(結婚) と 金銭欲(強欲) を禁止した。

日本語で言えば、「肉食妻帯(にくじきさいたい)の禁戒」です。そして、お金を汚(きたな)いものだと、考えて、お金の話をしないようにした。

私は、それは巨大な偽善だと判定します。 お金(商売、取引、利益活動)がなければ、人間は生きてゆけない。それを、汚いものを扱うように考えたのが、先の4大宗教だ。そして、僧侶(坊主、モンク、プリースト、サンガ、修行者)に 「女犯の戒」を科して、性欲を禁じた。

そのくせに、それでは、自分たちの大教団が運営してゆけないものだから、巨大な偽善を実践して、陰で隠れて、商売(経済活動、占い、まじない、経文売り、加持祈祷)をやったり、隠れて子供を作った。

それで、織田信長が、「この売僧(まいす、腐れ坊主ども)め」と怒って、比叡山の焼き討ちをやって、皆殺しにした。居ないはずの比叡山から、一万人近くの女、子供が、比叡山の琵琶湖側(坂本の町)に、山火事の炎に捲かれれながら、命からがら逃れ出ててきたが、信長はそれも「ひとり残らず、なで斬りにせよ」と命じた。 

 それで、その前に、それまで5百年以上も続いた、延暦寺(山門派)と 円城寺(えんじょうじ、=三井寺、みいでら、地門派、大津市)
と、奈良の興福寺(こうふくじ、法相宗ほっそうしゅう)のが、まるで大学闘争(学生運動)のような、京の町まで巻き込んだ、僧兵たちの殴りこみ合戦が絶滅した。このあとは、一向門徒(本願寺派、親鸞の系譜)の時代になる。

私も、この腐れ坊主たちめ、と今も思います。 言っていることと、やっていることが違うのを、偽善(ヒポクシシー)と言う。何よりも偽善がいけないのです。自分たちの真理探究が続かないものだから、ただの宗教(信仰)にしてしまって、あまつさえ、「女犯の戒」と、物欲、経済生活の問題を、ひたすらごまかして、いい加減にして、 ずらして、とぼけて、そして、現在の 葬式仏教の、腐れ果てた現状だ。 

 厳しい修行が出来ない者は、山を降りて、そして、普通の人として生きよ。

だから、私は、神・仏・儒 は、駄目だ。そうよりも、素直で正直な 道教(タオイズム)の方を中国と日本の民衆(とりわけ女たち)が崇拝したはずだ、と納得が行きました。 

 イスラム経と道教は、この点で偽善が少ない。言っていることがやっていることと一致している。 お金儲け(商業活動)を認める。しかし、それと同時に、人助けのための喜捨(きしゃ)もしなさい。お金を貧しい人にあげなさいと解く。 シャリア、ザカードという。

男の性欲も仕方がない者であるから、力があって、金もある男は、4人まで奥さんを持っていい、とした。道教も同様のようだ。この正直さは、すばらしい。


私は、思想家として、正直でありたい。偽善が一番嫌いだ。今後は、だから、もっともっとこの世の、人間たちの真実を暴(あば)きたい。

私が、なぜ、神・仏・儒、そしてキリスト教団(人間への愛を説いたキリスト本人ではなくて)の4大宗教が嫌いかと言えば、それは、偽善が大き過ぎるからです。だから、もう、これらが世界民衆を支配するのは、飽き飽きだ、と思います。

このように私が思ったからと言って、今の現実世界が、どうにかなるものではない。信者たちの信仰の世界はこのまま続きます。しかし、私は、自分一個の問題として、「自分の葬式をどうやってもらうか」とか「先祖崇拝(これは良いことだ)」を仏教などには頼らない、ということで、道教の方が、ずっと正直でいい、という風に考えて、大きな真実を、あの論文「船井幸雄は道教の思想家だ」で、暴露(ばくろ)したのです。

道教(老子の思想)は、素朴なお金儲けと先祖崇拝と、そして人間の諸欲望の肯定をした上で、それを穏やかに自省させる良さがある。書いていることは、皮肉と逆説と、反対論 ばかりであるが。

神・仏・儒そしてキリスト教が、ユダヤ教の強欲・拝金(ラチオ、リーズン、合理、理性)の思想に、ぼろ負けに負けて、この2百年間ぐらい(東アジアでは、 1840年の阿片戦争以来)からずっと劣勢のはずだ、と納得が行きます。自分たちの教義(原理)の中に、巨大な偽善あるからだ。


そして、文明間の衝突」(サミュエル・ハンチントン)によって規定されたごとく、イスラム教 と ユダヤ教の 大激突の時代になった。今世紀初頭からすでに中東で始まっていたのであるが。 大川周明(おおかわしゅうめい)は、バグダッドにいたドイツ軍と連帯するために、ゴビ、タクラマカン砂漠を越えて陸軍中野学校の情報将校たちが行こうとした(ほとんどは、ネパールあたりで、英軍=グルカ兵に捕まって処刑された)ことの戦略を作って、イスラム教の研究をしている。

私は、人間は言っていることと、やっていることが違うのが一番いけないと、思う。それが偽善だ。どんなにみっともないことであっても、言っていることとやっていることが一致していれば、その人なりに正直な生き方をしているのだ、と認めることにしている。 自分たち自身の内部の巨大な偽善を隠しながら、大教団をつくる者たちは、滅ぶべきである。

しかし、このことは、簡単なことではない、と私も分かっている。言葉(理屈)などで、どうにかなることではない。


仏陀、孔子、アリストテレス は紀元前500年ぐらいの人で、ほとんど同じ時代に表れている。 (キリストはその500年後ぐらい。イスラム教のムハンマドは西暦622年に成立ですから、さらに600年後である。) といことは、地球上にほとんど同じ時代に、大きく4つの地域に、人類の文明(古代帝国)が生まれて、同じように、真理を探究しようとする態度が、全く同時期に、人類の各文明で同時に発生した、ということです。

その後も、多くの思想家と宗教上の争いと、多くの人間の苦しみがあったのですから、素朴な言語ゲームだけで、何とかなる、ということは、無いと私は思います。

 次に、以前引用したものと一部ダブリますが、山手圀弘氏による90年代に行われた講演からです。
 副島氏同様、イスラム教が人間の本音に近い部分に根ざしており、それゆえの強さによって、今やあらゆる面で問題噴出しているユダヤ・キリスト教的な個中心の思想に変わって勝ち残っていくであろうと、またそれが歴史的人類史的必然だろうと述べています。
 ヒンズーとか中国の思想はまた違いますが、中近東辺りやヨーロッパに広がった思想の中では、生活様式の変化とか、社会、経済原理の発展が、全部個の原理に並行していますから、現代の文明社会をつくっている経済原理や科学技術の原理、工業社会の原理は、明らかにユダヤ教、キリスト教の延長ですよね。そこへアラブが後発の形で……宗教改革はずっと以前に行なわれたんですが、それを近代社会に体制として現わしてくるのが遅れていますね。これが今、出てるんだろうと思うんです。ですから、人間関係とか社会関係がとても曖昧に見えるのは、実はアイデンティティ、リアリティを形あるもの、個々の単位や人間という個の立場におかないで、場や、ついには神と彼らが言っている宇宙原理、宇宙のほうにアイデンティティ、リアリティをおいた場合のものの解釈、生活の編成の仕方、社会の構成の仕方、ここへ無意識のうちにもっていっているからです。これがアラブだと思うんです。ですから、アメリカもヨーロッパも理解できない。日本もちょっと、近代国家として対応する時はずれている。しかし、何とはなしにアラブの心情は理解できる。日本人も曖昧なところが、“世間様”という場の思想がありますから。アラブでは世間様ではなく、“インシャラー”と言うらしいですね。“神の御心のままに”と。宇宙がどうしたらいいか決めてくれる、自分が決めるわけでもないし相手が決めるわけでもない。人間が決めるわけではなくて、結局成り行き次第ということでしょうか。日本辺りでは自然随順、随神の道というのもそうだったんでしょうが、“自然のままに”というのを向こうではインシャラーと言っている。一脈通じるものをもっているんですね。ユダヤ教宗教改革の延長で、宇宙意識を取り戻す、本体論的な記憶回復をする運動が起こり始めていると見ていいんじゃないかと思います。

(太字=当ブログ管理者)
「人類史的必然としてのイスラエルとアメリカの敗北。-2」へ続く

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by darsana-te2ha | 2006-09-14 11:39 | 世界情勢


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