2006年 12月 22日
「近現代」に終わりは来るのでしょうか?~未だに続く奴隷制を支えた価値観。
 私たちが自明だとしている価値観や正義が、実は時代的・地域的に見て数ある価値観のうちの一つでしかないことが、多くの人々の中で明らかになりつつあるように思われます。そのことに気が付いていない裸の王様は、マスメディアや政治経済のお偉いさんたちだったりしませんかね。まあ、彼らには既得権益がありますから、今ある価値観の転換があっては困ってしまう立場にあるわけで、止むを得ないのかもしれませんけどね…(^。^;)。
 後述の奴隷制にひっかければ、彼らは宗主国に取り入ろうとする現地の奴隷商人、ってとこなんでしょうな。

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 個人的にボブ・マーリーをはじめとするレゲエを多く聴いてきたんですが、彼らの歌詞には、祖先たちが奴隷としてアフリカから大西洋をはさんだ遠方に無理やり連れて来られ、しかも自分たちの世代に至るまでの数百年間、辛酸をなめさせられてきた近現代の歴史に対する怒りが表現されています。
 アメリカ大陸の奴隷制には、ヨーロッパ、特にイギリスそしてアメリカが深くかかわってきたことは世界史の授業に於いても習いました。キリスト教のみが「文明」であるという自己中心主義を基礎とし、プロテスタント的な「合理」思想とユダヤによる商取引や金融の知識によってもたらされた蛮行だったのでしょう。制度としての奴隷制は終わったとされていますが、奴隷制を招いたような彼らの価値観ややりくちの多くは未だに残ったままなのではないでしょうか。他者、他民族を利用するにあたってはきめ細かにリサーチをするものの、物質的な利用価値以外に対する不感症ともいえる乱暴さです。


「千年紀末の神秘学」 高橋 巌著 角川書店刊 P108~111より
 彼(=シュタイナー)がいうには、そもそも十五世紀以後の人間は、前からたびたびお話している「意識魂」の時代を生きています。意識魂の時代とは、一口でいえば、世界についての判断の基準が、集団社会にではなく、一人ひとりの個人の中にある、と本能的に感じることのできる時代のことですが、その意識魂の時代の夜明けが十五世紀に訪れ、そしてその時代の昼が「現代」なのです。ですから意識魂という魂を生かそうとしないと、現代人は自分の中の時代衝動を生かすことができず、心のどこかで自分自身に不満を感じてしまします。
 教育を考えるときも、今の子どもの中に無意識の意識魂の衝動が働いているのに、教師や親たちの中にローマ帝国的な考え方が残っていて、中学生、高校生にも権力でのぞみ、自分に従わせようとします(新教育基本法!/引用者)。(中略)

 そういう意味での意識魂をいちばん早く目覚めさせた民族は、シュタイナーによれば、イギリス人とアメリカ人でした。ですからいち早く、偉大な近代思想、偉大な経済体制を形成して、それを全世界に普及させるという大きな役割を果たしてきましたが、しかしその同じアングロ・アメリカ人たちは古代ローマと同じ帝国主義的な衝動に突き動かされて、植民地を世界に求め、その衝動と意識魂の産物である民主主義、議会制民主主義と一つに結びつけました。意識魂が帝国主義的な権力思想と結びつくと、強力な国家エゴイズムを生じさせます。自分さえよければ他はどうなってもいいという考え方が、意識魂の中から生じてくるのです。これがヨーロッパ近代の一つの特徴です。そして日本の近代はヨーロッパそのもっとも悪しき側面を国家政策の中に取り入れて。今日までいたりました。
 議会制民主主義は、意識魂が自己満足をもつための最も効率のいい制度だということを考えずに民主主義や議会主義の理想を論じても、その本質が分かりません。意識魂は、個人の中にすべての価値判断の尺度を求めようとしますから、そういう個人意識が強くなればなるほど、国家のエゴイズムも強くなります。そうでないと、そもそも意識魂は発達しないのです。エゴイズムは個体主義の影の部分なのですが、その影にうながされて、イギリスは特に十八世紀の初め以来、アジアやアメリカ、アフリカでものすごい侵略を始めます。

 アジアの場合、東インド会社が設立され、十八世紀の七〇年代になると、インドで栽培されていた阿片を中国に売りつけようとします。イギリスは、資本主義の基礎を築く際に、インドの存在を最大限に利用しました。当時中国との交易には銀が必要だったのですが、中国から買いつけた膨大な量のお茶の支払いに使う銀貨を、阿片で中国から獲得しておけば、貿易が有利に展開します。そこでインドを通じて、膨大な量の阿片を中国に売りつけます(今や阿片の代わりにドル=紙切れを使ってアジアに対して同じような詐欺をやってるというわけですな…/引用者)。
(中略)
 阿片戦争の例を一つとってみても、イギリス帝国主義の政策の中には、意識魂の持っている影の部分の自己中心主義と、古代ローマ以来の法律主義といいますか、合法的権力主義といいますか、そういうものが新しい形で結びついています。阿片戦争からアメリカのベトナム戦争や湾岸戦争まで、アメリカとイギリスの行ってきたことの基本には、そういうおそろしい衝動が、キリスト教や近代文明の普及という「幽霊」で自己を欺瞞しながら、力を発揮していたのです。

 何度か当ブログに引用させていただいている山手氏がおっしゃったように、アラブというのは意識魂があまり発達してこなかった地域なのではないでしょうか? しかし、意識魂的な個人の幸福を第一義とするような考え方の限界が露呈してきた現在、逆に非常に重要な役割を担いつつあるのかもしれません。アラブでの一連のきなくさい出来事は、ハンチントンのいうような『文明の衝突』的な側面もあるかもしれませんが、これまで世界を覆ってきた価値観に変わって、新たな価値観が起こりつつあることの表れなのかもしれませんね。
 それは近現代において欧米列強にいいように蹂躙されてきたインドや中国の台頭、ということにも表れているように思われます。
 近現代の物質的繁栄を支えてきた個重視の考え方と、アジアに連綿と続く価値観との融合による新たな世界のパラダイムが表れつつあるのでしょうか? もしくは、世界がさらに利己的な物質主義に汚染され、地球そのものが危機に瀕してしまうのかの分岐点に、今、我々は立たされているのかもしれません。
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by darsana-te2ha | 2006-12-22 13:57 | 世界情勢


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