2007年 05月 04日
キリスト教が「新大陸」で行なってきた暴力-1。
 前回、米国での銃乱射について書いたときに取り上げた、ヨーロッパキリスト教の持つ、自己本位な暴力性について、もう少し書いてみようと思います。

 スペインの宣教師ザビエルが日本にやってきたのと同じ頃、同じスペイン人たちが新大陸を「発見」し、元々そこ(南アメリカ・アンデス)で生活をしていた住人たちをキリスト教に無理やり改宗し、その富を収奪していく過程をつづった「魂の征服」という本から引用します。
 踏み絵といったような日本の切支丹への弾圧を、遠藤周作氏を初めとした日本の文化人たちは批判しますが、もし秀吉はじめ日本の為政者がキリスト教の日本への流入を許し、宣教師たちが大量に日本へやってきたとしたら、アンデスで起こった下記ようなことが日本でも起こったであろうことは容易に想像できます。自分たちの信じるキリスト教が世界最高峰の教えと信じ、それを暴力を持ってまでして他民族に押し付け、その後その富を強奪することを、神の恩寵と感じてる彼らの脳みそと感性の構造からすれば当然だったかもしれませんけどね。


 16世紀の前半に、スペイン人たちは武力でアンデスの地を鎮圧し、古来のアニミズム的な土着の信仰をしてきたアンデスの民に、キリスト教の「福音」を押し付けることにひとまず成功しました。しかし17世紀に入った頃に下記のような問題が表面化してきたようです。

「魂の征服―アンデスにおける改宗の政治学」 斉藤晃著 1993年 平凡社刊
より引用
(p258~259より)
 こうして強制的改宗に対する対抗手段としての(インディオたちによる)「心の中の偶像崇拝」は、その最も洗練された形態に到達したことなる。破壊可能なものはすべて破壊しつくされ、神殿や神像の痕跡は何ひとつ残されていないが、インディオはあたかも何ごともなかったかのように、いままでと同じ場所でいままでと同じ形式に則って礼拝を続けるのである。ただし、彼らが崇拝しているのは、もはやワカ(引用者注:アンデスの人々が、スペイン人侵入前に信仰していたアニミズム的な神々や祖先の霊のこと。日本で言うところの「八百万の神」)そのものではなく、ワカがかつてそこにあったという記憶である。そして、この記憶が生き続ける限り、ワカの魂はいつも舞い戻り、彼らが差し出す供物を受け取ってくれるのである。
 このような「記憶の中の偶像崇拝」は土着宗教の根絶を目指すスペイン人聖職者を大いに苛立たせたと思われる。例えば、(中略)アリアーガの文章には、できることならインディオの記憶自体を根絶してしまいたいという彼の苛立ちが良く表われている。


 そこで、支配者たるスペイン人たちは次なる改宗の徹底化に乗り出します。偶像崇拝撲滅運動のために、聖職者たち(巡察使)を各地の村に派遣し、偶像崇拝の実態を調べ上げ、根絶していったそうです。

(p260~261より)
いったい何が彼らの抵抗活動(=インディオたちによる上記のような「記憶の中の偶像崇拝」や、スペイン人侵入前の旧来の神像を密かに隠し礼拝すること/引用者注)の挫折をもたらしたのだろうか。
 この問いに満足のゆく形で答えるためには、暴力の問題を避けて通ることはできない。というのも、十七世紀の偶像崇拝根絶巡察は村落生活への暴力的介入に他ならず、巡察使は暴力的手段を行使して村人の異教的慣行を暴き出していたのだから。巡察使たちは、秘密裏に維持されていた土着宗教のネットワークを明るみに出すため、二種類の暴力を行使していた。すなわち、心理的暴力と肉体的暴力である。
 まず前者に関してだが、巡察使は「偶像崇拝者」の口を割らせるために周到な心理作戦を行なっていた。村落に到着した巡察使の一行は、司祭の助けを借りてミサを主宰し、説教を垂れ、教理を教えるかたわら、村人の取り調べを開始した。取り調べは個別かつ秘密裏に行われ、尋問を受けた人々は互いに口をきくことのできない秘密の場所に隔離された。また、密告が奨励され、たくさんの褒美が人目に付かないようにばらまかれた。その結果、村人は取り調べの成果や情報の出所を知ることができず、互いに疑心暗鬼になっていった。誰がそのようなことを巡察使に打ち明けたかについて様々な噂が飛び交い、根拠のない非難や責任のなすり合いが始まった(引用者注:まさに「分断して統治せよ!」)。巡察使は証言の食い違いを巧みに追及し、ときには被疑者同士を対面させ口論をけしかけることで、彼らの相互不信を煽り立てた。こうして、ついには村人は互いに秘密を暴きあうまでに至るのだった。したがって、偶像崇拝根絶巡察は村落生活そのものの破壊であった。巡察使の一行が通り過ぎた後の村では、親戚や友人同士の長年にわたる信頼関係はぼろぼろになり、村人は相互不信と自責の念にさいなまれることになったのである。

 巡察使とは、教会によって検察権と裁判権を与えられたスペイン人聖職者(インディオの問題について経験豊かで、また説教の力に長け神学の知識に精通した者が教会によって選ばれたとか/同書p245より)で、記録をつける公証人、インディオの通訳と、修道士(!)が一緒に随行したそうです。神の名を借りつつも伝統社会の更なる破壊以外の何者でもないと思われるのですが…。日本における切支丹弾圧もけっして誉められたものではありませんが、冒頭に書いたように、もし16世紀の時点でキリスト教が日本に本格的に入り込んできてたら、と想像するとぞっとします。
 引き続き同書より引用します。
(p261~262より)
 極秘の取り調べや密告の奨励による心理的暴力は、被疑者に対する肉体的暴力の行使と対になっていた。訴訟手続きが取られ、逮捕状が発行されると、巡察使は被疑者を捕縛し、しばしば足かせをはめて牢屋に投獄した。逮捕された被疑者は巡察使の尋問を受け、供述が不十分だと見なされた場合には、拷問を受けた。最も頻繁に適用された拷問は太い縄でふくらはぎや腕を徐々に締めつけるもので、この責め苦を受けた被疑者は不具になることがあった。これらの合法的暴力は、実際の状況では、しばしば無差別暴力へエスカレートすることがあったと思われる。この点に関しては史料が少ないので確かなことは言えないが、村人があくまでワカの在処(ありか)を打ち明けることを拒否したり、巡察使がワカに捧げられた財宝や家畜に下心を持ってる場合には、被疑者に対する尋問は自白を強要する拷問に変わり、やがて歯止めの効かない暴力までにエスカレートすることは十分あり得ただろう(引用者注:先に述べたような、形無き心の中の神像の他にも、土着の神であるワカの神像を人目の付かない場所に巧妙に隠して礼拝することも多々行われていたそうです)。
 一例を挙げれば、土着の年代記作者ワマン・ポマ・アヤラは、フランシスコ・デ・アビラに迫害されてハウハ地方から逃げてきた三人のインディオ女性と知り合い、彼女らが語った巡察使の非道振りを「新しき年代記と良き統治」に書き留めている。


 いやはや、宗教家がこんなことを平然と行ってたわけですから恐ろしいことです。ザビエルも、アンデスで巡察使をやっていた方々と同じ「聖職者」だったんですよね。仏教も含めた他宗教でも政治がからむこといよって同じような蛮行は行われてきたようですが…。しかし、僕の少ない知識と情報の中では、宗教に直接携わる聖職者によるここまで徹底して大規模な暴力は、近現代ではなかなか見つけづらいように思われます。
 因みに「天皇のロザリオ」において鬼塚英昭氏が、ザビエルはマラノ(カトリックに改宗したユダヤ人)で本質的には商人であって、聖職者である表の顔とは別に武器の売買や諜報活動をやっていたのではないか、と述べておられました。

以下、「キリスト教が『新大陸』で行なってきた暴力-2。」に続けます。
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by darsana-te2ha | 2007-05-04 19:18 | 世界情勢


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