2007年 05月 08日
キリスト教が「新大陸」で行なってきた暴力-2。
 「キリスト教が「新大陸」で行なってきた暴力-1。」に引き続き「魂の征服―アンデスにおける改宗の政治学」 斉藤晃著 1993年 平凡社刊より引用します。

 16~17世紀にアンデスで起こった下記を読むと、「グローバル化」にさらされ、特に地方に於いて旧来の共同体が崩壊させられている、ここのところの日本の状況とダブって見えてしまうのは私だけでしょうか? 「グローバル・スタンダード」とキリスト教が重なって見えてきます。話は飛躍し過ぎかもしれませんが、かのアメリカによる日本や世界に対する「年次改革要望書」は、まさに日本人を下記のような経済的、政治的隷属状態に置くことを目的にしたものではないかと思えてきます。時代や状況は違いますが、見方をちょっと変えると、16~17世紀のアンデスのアンデスで起きていたことが、今日本で起きつつあるのかもしれません。

(P319~321「経済的疎外と悪魔崇拝」より)
 スペインによる征服以降、植民地国家の経済機構はその司法機構と同様、アイユ共同体(引用者注:アンデスの伝統的地縁血縁共同体。祖先を共有する者たちによる血縁的集団)の生存と繁栄に直接影響を及ぼしており、それを無視して伝統の殻の中にひたすら閉じ籠もることはもはや不可能だった。それゆえインディオは、訴訟活動や貨幣経済参入によりそれらの外来的機構を自分たちの利益に沿って実践的に操作しようとするとともに、観念的にもそれらの諸機構を伝統的神々の統制のもとに置こうとしたのだった。しかしながら、彼らにとって不幸なことに、経済機構や司法機構の実践的統制は、それらの観念的統制と歩調を合わせて進みはしなかった。植民地国家の法的諸機構が伝統的神々により統御されていると想像することは比較的たやすいが、それらの機構を実際に操ることは、スペイン人の抵抗を直接被るため、非常に困難だった。その結果、伝統的神々により統御されているはずの司法機構や経済機構が、実際にはスペイン人により統御され、インディオに対して抑圧的に機能している、という逆説的現象が生じることになった。そして、植民地社会の抑圧的諸機構をインディオの利益に沿って統御すべき神々は、いつの間にか、それらの諸機構を操ってインディオを抑圧することになってしまったのである。
 実際、貨幣経済に参入したアイユ共同体のインディオは、当初の経済活動の成功にもかかわらず、植民地社会の経済機構を統御するにはほど遠かった。よく知られたことだが、貨幣経済の土着社会への浸透は、次第にアイユ共同体の自給自足を困難にし、互酬性の原理に基づく相互扶助のモラルを脅かしていった。一五七〇年代の副王トレドの改革以降、現金での租税を納める方式が一般化し、貨幣に対する需要がますます高まっていった。他方、ミタ制度(引用者注:18~50歳までの全ての男子が毎年最低2ヶ月はスペイン国王のために働かなければならない植民地的制度。)による労働力の徴発により、アイユ共同体がその再生産に用いることの出来る人的資源はいよいよ減少していった。こうして、十七世紀以降、アイユ共同体の自給自足的基盤は揺らぎ出し、インディオたちはしばしばトウモロコシやジャガイモなどの必需食料品まで市場に頼らねばならなくなった。
 アイユ共同体の自給自足の崩壊の帰結のひとつは、インディオの半プロレタリア化であった。事実、十七世紀以降、クラカ(複数のアイユを束ねた共同体を治める長)を介した共同体単位の労働力売買にかわって、アシエントと呼ばれる個人単位の労働契約が増えてきた。スペイン人事業家との間にアシエント契約を結んだインディオは、自由な賃金労働者と隷属的農奴の中間のような身分で労働に従事したのだった。さらに、十八世紀になると、コレヒドール(引用者注:スペインから派遣された統治者・代官)や教区司祭の間でレパルティミエント・デ・メルカンシアスと呼ばれる強制的物資配給が盛んになってきた。植民地官僚や聖職者がその役職から最大限の商業利益を引き出すために作られたこの制度は、管轄下のインディオに不要な品物を割高の値段で無理やり買わせることをその骨子としていた。その結果、インディオは恒常的に借金に縛られ、ますます貧困化していった。

 上記なども見方を変えると、勤勉に働き稼いだ外貨をアメリカ国債やドルに無理やり変えさせられ、自国内に十分その富が還流してこない今の日本人のようです。
 さらにスペイン人にうまく取り入った一部のインディオたちが、立場の弱いその他多勢のインディオたちを操り、搾取するという構図も生まれてきたようです。そんなところも今の日本を彷彿とさせられてしまいます。
(P321~322より)
 アイユの自給自足的基盤が弱体化し、インディオの半プロレタリア化が進行するとともに、共同体のモラルも低下し始めた。前述のように、植民地官僚となったクラカや、市参事会や司祭補佐の役職に就いたラディーノ(引用者注:インディオとスペイン人との混血)のうち、少なからざる者がスペイン人と結託し、同胞の犠牲のもとで蓄財に励んだため、アイユ共同体の内部で階級対立が尖鋭化していった。また、人頭税やミタから逃れるため出身アイユを離脱する者が増大し、多くの共同体がファラステロと呼ばれるよそ者を抱え込むことになった。アイユ共同体が貧者と富者、オリヒナヒオ(地元民)とファラステロとの対立に引き裂かれてゆくにつれて、親族の紐帯に基づく相互扶助の理念は次第に拘束力を失い、利己主義的風潮が広まるようになった。その結果、裕福なインディオの中には、貧しい同胞に金を貸しつけ、借金で束縛することで、彼らの労働力を搾取する者まで現れるようになった。

 現在、インディオたちが被ってる状況は、今の日本と比べ更に厳しいものですが、前回の「キリスト教が「新大陸」で行なってきた暴力-1。」で紹介させていただいたような伝統的信仰や文化に対する文字通りの暴力的破壊と経済的な搾取、ヨーロッパからの伝染病の猛威等によって文化的かつ人的基盤を破壊されてきました。生き残ったインディオたちの多くも、未だに貧しい生活を強いられているようですね。

 伝統を破壊されつつも、基層的な部分でキリスト教による大掛かりな文化的ジェノサイドに晒されることなく、経済的発展を遂げてきた日本人です。そんな私たち日本人たちこそ、キリスト教によるインディオたちの呪縛を解放させるために何かできるのではないか、という気もするのですが…。
 「ラブ・ミー・テンダー」を唄って悦にいっていた小泉前首相のように似非アメリカ人になろうとする欺瞞から多くの日本人が目覚め、新しい世界や人間の在り方への模索を始めるべき時がやってきてるように個人的には思っています。
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by darsana-te2ha | 2007-05-08 00:33 | 世界情勢


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