2007年 10月 21日
65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-1
 n様からのコメント情報によれば、去る10月18日に、アメリカさまから恒例の“内政干渉イニシアティブ(笑)”年次改革要望書が発表されたそうですね。

 下記ブロガーの方が早くも邦訳されてます。
 内容はと言えば、まったく余計なおせっかいつうか、相変わらず“オマエは何様か?”的利己的な要求の羅列じゃないでしょうか(苦笑)。

或る浪人の手記 2007年版「年次改革要望書」超適当訳

とむ丸の夢 年次改革要望書 「郵政民営化」部分の訳(10月22日夜追記)

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 米英を支配してる国際金融資本の親分たちであるアングロサクソンやユダヤの方々の、利己主義や選民意識は今日に始まったことではないようですが、戦前の日本人は彼らに対して、現在に比べると警戒心を持ってたようですけどね。戦後60年余にわたる洗脳の怖ろしさと、同時に手の平返したように変わってしまった我らが日本人の情けなさもちょっと感じてしまいます(逆に言えば、そのへんの変わり身の速さが日本の勁さでもあるんでしょうけど。外から見るといきなり方向転換することに恐怖を感じるのかもしれませんね(笑))。

 冷戦期間中のアメリカが日本に寛大だったのは、日本が対共産主義のショウウインドウや砦としての役割ゆえだったからだそうです。1990年までの戦後45年間は日本にとって、いわば特殊な“モラトリアム”期であったのでしょう。ただおかげでその間に、終戦直後の焦土から世界2位、しかも1位のアメリカを脅かすまでの地位に経済的に成長する事が出来たわけですが…。

 しかし、冷戦が崩壊し日本に気を使う必要のなくなったアメリカは、その本来の姿である牙を剥き始めたようですね(実際、国連の敵国条項に日本がまだ入ったままであるわけですし)。親米ポチ保守の方々は、冷戦期という特殊な状況下でのアメリカの姿を未だに追っているんでしょうかね。今のアメリカが本当の姿なのか、冷戦期のアメリカが本当の姿なのか、一体どちらなのでしょう…。

 下記に引用したのは65年前の日本人による英米分析です。年次改革要望書のような、利己的な圧力をかけてくるアメリカ様が、当時とそのまんま当てはまってしまうところが実に空怖ろしいところですが。

 引用文中にたびたび出てくる「大日本言論報国会」というのは徳富蘇峰氏が会長をしていた、対英米戦争の戦意高揚のための半官半民の思想家組織だったそうです。その思想を全て肯定するわけではありませんが、英米に対する分析は、現在にも通ずるなかなか鋭いものがあったように思います。

「『大東亜共栄圏』の思想」 栄沢 幸二著  講談社新書より
(p157~158より)
 大日本言論報国会常務理事斉藤忠は、米英的世界観の特質は、「個人主義的世界観」にあり、その精神が「利己我欲」の「利己精神」にあるとして、つぎのように主張していた。
 米英の世界観は、その究極の価値を個人におき、個人を以て至上のものとみなし、人生の究極の価値を個人においている。(中略)
 また彼らは、個人の平等という現実にはありえない観念に立つがゆえに、質の相違を無視し、ただ数の力にたよるようになるのである。このような「個人主義的、自由主義的世界観」が、デモクラシーを生み、共産主義に見られるような「階級利己の原理」を派生させることになったのである。その他、経済的には資本主義、社会的には個人主義、法律的には極端な権利・義務の「契約思想」を生み出した。また、国際的には、侵略主義や名目的な平等の仮面下で強国の「利己支配」の結果を出現させたのである(大日本言論報国会『国家と文化』昭和一八年)。
 さらに斉藤は、つぎのように述べている。
 英国の物質的繁栄は、対外的な侵略と内外にわたる搾取によるものである。米国も、モンロー主義の名のもとに南北両大陸への「侵略と搾取」をおこなってきた。またその領土保全、主権尊重、門戸開放の主張も、「支那」における自国の市場の維持・拡大の手段でしかなかった。そこに流れているものは、あくなき「我欲と傍若無人」な「利己」の主張でしかない。国際連盟も第一次世界大戦の勝利者としての英米の利己的な現状維持、英米仏によるヨーロッパの支配権を確保するための「欺瞞の機構」に他ならず、この「利己の秩序」を偽装するための看板として用いられたのが「民族自決」と「集団保障」の二原則であった。
 「英米的国際経済秩序」は、諸国家・諸民族間の「利己的立場」に基づく無限の対立を生むだけでなく、国内的に絶えざる「相克と闘争」を引き起こすものである。このような対立敵対的な「秩序の精神」は、ヨーロッパ諸民族の「本然のあり方」であった「共同社会的構成」の喪失による「西洋的利益社会」、つまり市民社会の発生とともに始まったのである。

(P158~159より)
 たとえば、大日本言論報国会理事穂積七郎は,米英両国の自由・平等・機会均等の「政治スローガン」の実体はアングロ・サクソンの「民族利己主義」にあると批判した(大日本言論報国会『国家と文化』昭和一八年)。また、同会専務理事鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)も、米英の自由主義とは、何をするのもわがまま勝手、すべてわがままに生きていく利己的生活態度のことで、その政治的表現がデモクラシーであり、経済的には「自ら利する利己」つまり「利潤追求」に他ならないと指摘した(大日本言論報国会『思想戦大学講座』昭和一九年)。

(P151より)
(大日本言論報国会常務理事野村重臣著『戦争と思想』昭和一七年より)財界人が「ユダヤ追随主義者」となり、「英米依存論者」になるのはユダヤ国際金融資本の「オコボレ」を頂戴しようとの「乞食根性」に「因由」するものである。経済的にユダヤの最も恐るべきは、わが国民経済の全体が、機構的にユダヤ国際金融資本に従属し、財界がその意のままに「死命」を制せられることにある。個々の企業方針だけでなく一国の経済政策や政治・外交政策までが干渉され、さらには「思想、観念、世界観の根本」に至るまでその支配を受けるようになる点である。

 最後の野村重臣氏による65年前の警告は、悲しいかな今現在、現実となって日本を覆ってしまいましたね。

 上記で引用させていただいた「『大東亜共栄圏』の思想」の中で著者であられる栄沢幸二氏もおっしゃっておられましたが、英米の利己主義を批判し、東アジアでの彼らの植民地を解放するという大義名分がありながら、大東亜戦争に於いて日本は英米と同じ利己主義を東アジアの民族、国家に押し付けてしまった、というのもまた事実でしょう。
 しかし、年次改革要望書のような、アメリカという強国による利己的で理不尽な要求に翻弄された経験を既に持ってしまったわが国は、逆にアジアの国々や民族が過去に受けてきた屈辱感を、理解するには良い経験になったのかもしれません。その経験も生かしつつ、世界のより多くの人々が希望や幸福をシェアできるような次の新しい人類史のステップに向けて、日本が経済的もしくは人的な貢献を出来るといいんですけどね。

 以前ちょっとだけ触れた京都学派の高山岩男氏について、「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2」に続けます。

(太字は全て当ブログ管理者による)

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by darsana-te2ha | 2007-10-21 02:13 | 日米関係


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