2008年 03月 09日
'80年代耽美系リマスター盤CD2枚ゲット。それにまつわるギリシア古典思想考。
(今回は他所で書いたブログ記事を元にした音楽とギリシア神話を中心の内容で、いつもとちょっと違った切り口で書いてみようと思います。)

 個人的に嗚呼なつかしの'80年代前半。これまでアナログで当時の音楽を聴いてきたのですが、リマスターCDの音の良さを最近知り、かつてのお気に入り盤のリマスターが出てると購入してる今日この頃です。

 で、先だって新宿の中古CD屋さんで下記2枚リマスター盤をゲットしました。いずれも耽美系つかギリシア神話系な音ですw。ジャケにもその雰囲気が出てますね。当時、聴きまくったよなー。
 当時は肉体的にも精神的にも溌剌としていました、しかしなかなか自分の思い通りの形というのを掴めなくてモガいていた頃でしたね(>_<)。まぎれもない若さ、ですかねw。こんなワタシにもかつてそんな日々もあったんですよ…

「Avalon」 Roxy Music
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当時「ロッキングオン」で誉められていて、貸しレコード屋で借りてテープに録った記憶が(その後中古盤で購入しましたが)。アルバム全体としては「プラトニック」がテーマになってるような印象でしたが。

「Treasure」 cocteau twins
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 ピーター・バラカン氏の「ポッパーズMTV」でPVが流れてるのを観て(聴いて)一発で気に入りました。バラカン氏はミディアムテンポの情緒的な曲ばかりで退屈なアルバムだ、とこき下ろしてましたがw、自分の身の回りでは人気がありましたけどね。日本人のツボに来る曲調だったのかな。

「文化類型学・呼応の原理」高山岩男著 燈影舎刊 p30~31より
ギリシア神話に支配するものは、宗教意識でもなくまた倫理意識でもない。現世の享楽を尊ぶギリシア人には、インドに見られるがごとき禁欲や解脱の観念が発達しない。ギリシア民族には現世の彼岸に神の国や浄土を求める強い宗教意識がなく、善悪二元の葛藤する深刻な道徳意識がない。肉を罪業の根源とするがごとき罪の意識はギリシア人には無縁である。ギリシアに存するものは人類の文化を齎らす(もたらす)ために神に背くヒュブリスである。ギリシア精神はヒューマニズムである。ギリシア文化の根底は現世主義である。そこには一種の官能主義・自然主義の心さえ流れている。しかしギリシア人は現世や官能をそのまま善しとして肯定するのではない。ギリシア人に現世や官能を肯定せしめ、それに価値づけを与えているものは美の理想である。美がギリシア人にとって人生の終局的目的である。美しきものは永遠に歓びである。ギリシア神話は多くの美の神をもち、芸術の神々の説話をもつ。神の姿そのものが美の極致である。美を求めてやまぬギリシア人は青春を愛して老衰を厭い、肉体の美を作る体操や競技を重んじた。裸体像がギリシア芸術の中心を占めたことも決して偶然ではない。
 それゆえギリシア神話を貫く根本精神は、宗教意識でもなく倫理意識でもなくして、美の芸術意識であるというこということができる。われわれはここに他の神話に対するギリシア神話の基本特性を見出す。
(太字は引用者)

 高山岩男氏はいわゆる「京都学派」に属する思想家で、戦前日本で文化の多元性を唱え、欧米列強とは違った文化特性、歴史性を持つアジアを、欧米と切り離し独自の文化圏・経済圏として欧米と並存させようというお考えから、大東亜共栄圏の文化的歴史的必然性を唱えられました。それゆえに戦争を正当化した思想家として戦後パージされてしまった経歴をお持ちの方です。文化の多元性、多時間性ということは戦後も引き続き唱えられていたようです。
 ここにきてインドや中国といったアジア各国の急激な経済発展によって、欧米の相対的地位が下がり、世界の多極化が現実のものとなりつつある現在、氏の文化の多元性とその並存というお考えは非常に現代的なテーマを内包してるように思われます。同じような思想は大川周明氏や石原莞爾氏もお持ちだったようで、アメリカ追随主義が跋扈する今の日本より当時のほうが、思想的にはマトモだった気がします(とは言いつつ、あの時期になんであんなにアセってアメリカとの全面戦争に突っ込んでいったのかは、大いに疑問とするところですが)

 現世の生身の生活より「神の国」に価値を置いたヨーロッパ中世を否定し、次に進まんとした時に、上記のように現世肯定的なギリシア古典思想を復活・引用させたのがルネサンス(直訳すると「再生」とか「復興」とか言う意味のフランス語だそうです)だったのでしょう。宗教改革などと並行して現実的合理的な考え方がヨーロッパに根付き、イスラム文化の持つ高度な科学や思想を吸収することによって所謂大航海時代が幕開けし、近現代へと連なる合理主義的なもの・グローバリズム的なものがヨーロッパから興ってきたのがルネサンス期だったのでしょう。
 上記高山氏によれば、ギリシアの現世的な美の追求と理想の人間の姿として、国家(ポリス)的人間像を求めたそうです。その思想は現代アメリカの共和主義にも連なっているように思われます(この500年の世界史ということでは、N.W.Aというロサンゼルスのギャングスタ系HIP HOPユニットの曲に「ニガー(黒んぼ)は400年間死んできた」というくだりがあります)。

 ただ、ルネサンス以降のヨーロッパを中心に邁進してきた「近代」というものの限界と矛盾が露呈しているのが、現在の世界の状況なんだろうと思います。


 と、例によって音楽から脱線してしまいましたがw
(上記高山岩男氏を、個人的には高く評価したいと思っておりますが‥‥。氏については、以前「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2」でも書かせていただきました。)

 話を最初に戻して結論めいたことに無理やり結びつければ、自分の若き日の肉体と精神が、こういうギリシア神話的な音に向かったというのは必然性があった、ということなんでしょうかね。
 と、オッサンになった自分は分析してみるのであったw。
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by darsana-te2ha | 2008-03-09 01:17 | いろいろ感想文


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