2008年 10月 22日
近代以来の人間観である、自由(=利潤追求の自由)と平等(=所有物の量的交換の平等)の破綻。
a0054997_1635251.jpg


 時間が無いのでまとまりのない文章になってしまいますが、ヨーロッパを中心とした近代の人間観である、自由(=各個人の利潤追求の「自由」)と平等(=各個人の所有物の量的交換の「平等」)の破綻が今眼前で繰り広げられてるんでしょうね。
 「平等」に軸足を置いた共産主義が90年代初頭に終わり、「じゃあ」ってんで「自由」に軸足移したらこれもまた破綻。

 個の欲望と経験主義によって培われてきた「多数決デモクラシー」の限界も露呈してるのでしょう。
 アメリカを見ればわかるように、デモクラシーによって個の欲望を足し算していくと、自国内だけでは富の創造(収奪)が間に合わず帝国主義的に世界中から富をかき集めて来るしかないわけです。しかし世界の富も資源も有限なわけで、いつかピークがやってきてこれ以上富を収奪できない地点に到達してしまうんですよね。それが今日の状況なのでは。
(デモクラシー(議会制民主主義)の帝国主義的志向については「「近現代」に終わりは来るのでしょうか?~未だに続く奴隷制を支えた価値観。」に書きました。)


(上記についてのその他の当ブログ関連記事
「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2」
「おさらい:世界のマネーをかき集める為のアメリカの騙しのテク。日本もすっかり騙され脅されスラれました。」



 限られた資源や富を分配していくには、どうしても公的なコントロールというものが必要になってくるんですよね。そして、そのような公的なコントロールの中での自由とは何か?ということも重要です(そういう面では江戸時代の日本と言うのは良いお手本になるような気がします)。
 ヒトという種の意識は自由を求めるように出来ているようです。それを押さえつけようとして共産主義は失敗した。しかしアメリカ人を中心とした現代人のように物質的な富を追求することが真の自由ではない、ということを人類史的に多くの人々が目撃・体験してしまった西暦2008年なのではないでしょうか。
(自由を志向するヒトの意識については過去の当ブログ関連記事「私たち人類はどこに向かおうとしているのでしょうか?-1」に書きました。)



「自由」「平等」「友愛」という近代以降のいわゆるリベラル的志向性が、行き着くとこまで行き着いて「さあどうしようかな」ってのが今日の状況な気がします。
 と言っても自分は単純な反リベラル主義者ではありません…。現実社会は「友愛」より「契約」によって他者との秩序が保たれてきたのでしょう。そして契約の履行の裏では「友愛」では無く暴力や騙しが当然の如く使われてきたんですよね。


 以上、取り急ぎメモ的に書きましたが、いずれもう少しちゃんとした文章にまとめようと思います。


追記:巷間話題になってきつつある金本位制の復活についてですが、これも上記の近代のテーゼの一つである「各個人の所有物の量的交換の平等」から自由になっていないように思われます。
 これまでの経済というのは、飢えや物不足への恐怖心が前提となって成立してきたわけですが、現在、特にいわゆる先進国においては慢性的に供給が過剰になっているんですよね。それって、飢えや物不足との戦いが当然視されてきたこれまでの人類史の流れから観たら非常に大きな状況&パラダイムの変化だと思うのです(「不足」を演出して大儲けをする輩も大勢おるが…)。
 21世紀は、「等価交換」よりも「余剰の分配」に軸足を移して、経済(お金)について考えていく必要があるように思うのですが…。
[PR]

by darsana-te2ha | 2008-10-22 00:06 | 世界情勢


<< 株下げと総選挙。      ところで今の日本の外貨準備金っ... >>