2009年 06月 08日
神門教授による市場上原理主義的な農業政策発言について一言。-2
「神門教授による市場上原理主義的な農業政策発言について一言。-1」からの続きです。)

 前回に引き続き明治学院大学教授(開発経済学、農業経済学)の「SIGHT」誌上でのご発言の、今回は国内農業に関してについて考えていきたいと思います。

SIGHT VOL.40(ロッキングオン刊) P90~91より
神門 このままじゃ、どんどんどん優良農地がショッピングセンターに化けてしまうし、どんどんどん産廃が捨てられてしまう。農家というと、素朴で、集落機能をきちんと維持していて……というイメージを持たれがちですが、そうしたノスタルジーや食糧危機説のような架空の論議の裏で、偽装農家や産廃業者はもう、ウハウハですよ。

 都市近郊の一部の問題ありな農家を取り上げ、それを全ての農家に当てはめようとしてるとしか思えない論理。はてどこかで見たことある手法だなと思ったら、郵政民営化の際に小泉・竹中両元大臣やその下にぶら下がってた御用学者たちが郵政公社職員や特定郵便局に対して使った論法じゃないですか(苦笑)。
 また耕作放棄地や優良農地の転用については、日本国内全体の経済政策から来る地方の過疎化や、地元の商店経営を無視した強引な大店法の施行などと密接不可分な問題でしょう。それを、耕作もせず安易に金儲けばかりを考える農家のせいだ、って構図にスリかえるのは、冷静に物事を観ていくべき学者としていかがなものかと思います。

同上 P93より
 食料自給問題も同じです。数字を上げるためには、農業補助金をがんがんばらまけばいい。でも、それでは農業を補助金依存の脆弱体質にするだけで、将来のことをまったく考えていません。
 それに、今、グローバライゼーションだ、日本の農業を輸出産業にするとか言っていますが、実際には国際基準すら考えていません。たとえば、日本政府はWTO事務局に、価格支持のための米の買い上げはしませんと通報していながら、平然とこの通報に反する買い上げをしています。また、自民党と民主党が競争でばらまき政策をしていますが、それもWTO違反になる可能性があります。
 WTOやFTA(自由貿易協定)にも後ろ向きで、日本から事態を変えていこうという意気も覇気も感じられません。要するに内弁慶的に農業振興のポーズをとりたがっているだけです。
 目先の甘言は農家をスポイルするだけです。

 確かに政府の農政にも問題ありだと思います。しかし神門教授の論旨というのは、短期的な経済効率という市場原理主義的な考え方を基に農政批判をされていることです。前回も書かせていただきましたが、工業製品と同列に農産品を扱うことの乱暴さをもっと自覚すべきでしょう。
 まあ市場原理主義者たちはそのことをネタに、リスクヘッジのために先物のようなデリバティブ金融商品を農産品や農地にもっとかけやすくするよう「規制緩和」せよとか言い出すんでしょうかね…。

 日本の優良農地は、不動産業者や外資を含めた金融機関に狙われているのでしょう。神門教授もご指摘のように農家だけに儲けさせておく手もないだろ、ってとこでしょうね。日本の富を更に収奪するために、その富が集中している優良農地を持つ農家を狙っているようです。そのための農業非従事国民に対するマスメディアを使った「撒き餌」(洗脳ともいう)として、今後、政治家や官僚の「上げ潮」派や田原総一郎氏あたりに神門教授が重宝されるかもしれませんw。


 以上の神門教授の論旨に対する反論に前回に引き続き関良基氏のブログから引用をさせていただきたいと思います。
田原総一郎と猪瀬直樹の「グリーン・ネオリベラリスム」 - 代替案より
穀物価格は乱高下します。価格が高いあいだ、条件不利地域でも企業経営が成立するように見えても、価格が下がればすぐに経営破たんし、農業労働者は大量解雇されるだけです。そんな派遣社員のような不安定なプレカリアートたちをこれ以上に増やして何が「雇用対策」でしょう。
(中略)
農水省の農地改革プランは、耳障りのよいように、耕作放棄地や遊休農地の有効活用が唱えられていますが、実際に予想されるのは、条件のよい低地の優良農地の賃借経営権を企業が買い占めることです。
 これは、それこそイギリスで発生したエンクロージャーに匹敵する悪夢です。既存の兼業農家が企業に土地を奪われ、不安定なプレカリアートの大軍となって不安定な労働市場に押し出されるだけです。こうなれば、「雇用創出政策」どころか、「国民総プレカリアート化政策」にすぎません。


 「農地経営を、利潤を求めない家族経営で行うのと、商業的利潤率を要求する企業経営で行うのとで、単位面積当たりでどちらが多く労働力を吸収できると思いますか」と質問すれば、小学生でも回答は分かるでしょう。猪瀬や田原がそれを分からないとしたら、小学校の算数からやり直した方がよいでしょう。

(中略)

 非資本主義的部門のもつそうした「ゆとり」が、社会の安定性を担保しているのです。それも奪われてしまったら、もはや息もできないような人間疎外が極限に達した「資本原理主義社会」になって、プレカリアートたちによる革命が起こるでしょう。

書評: 『自給再考 -グローバリゼーションの次は何か』(農文協) - 代替案より
第三世界では、IMF・世界銀行・GATTという三つの国際権力に対する批判が日増しに高まってきています。この論文で、自由貿易に対する批判のトーンが強いのは、おそらく、昨年12月のウルグアイ・ラウンドの妥結に対する私自身の危機意識の現れです。
 私にはIMFという国際機関は、「先進」国の高利貸し(銀行)に雇われて、第三世界諸国の首を絞めて恫喝をかけ、タンスの扉をこじ開けて借金を取りたてていくヤクザのようにしか見えません。また、GATTという国際機関は、あらゆる地域的個性を破壊して、「先進」国の独占企業体が作った画一的な製品を世界中に強制的に売りつけるための、押し売り連合のようにしか見えないのです。

 21世紀は20世紀的な経済効率性だけでは立ち行かなくなるでしょう。その表れが今回の世界的な不況じゃないんでしょうか。経済的な「無駄」が実はいろんな意味で有用であることを理解し応用していくのが21世紀の社会のあり方ではないかと思います。
 最後に神門教授及び「SIGHT」編集部の方々におかれましては、同じSIGHT VOL.40に掲載されておりました経済学者小野善康氏の下記のご発言を今一度お読みになっていただきたいです。

SIGHT VOL.40(ロッキングオン刊) P40~41より
 で、小泉さんの構造改革は、実際のところは全体のためではなくて、特定グループのための単なる利権獲得行動だった。誰のためかって言うと、それは「勝ち組」対「負け組」という対立構図の、勝ち組のためだけだった。なのに、これは日本経済のためだとか、効率のためだとか言って恩を着せたわけですね。
 それで、「今我慢すれば、明日は成長するぞ」って言ってればよかった昔と違って、今だと、一見倫理に反することをしなければいけない。不況で多くの人が我慢してるときに無駄に見える公共工事をやれとか、環境規制を強めろとかね。だから私は、「国土交通省にたぶらかされてるんじゃないか」とか「土建屋が喜ぶ」とかすぐ言われるわけね(笑)。だけど、一見無駄に見えることこそ、本当の効率につながるんですよ。
(中略)
 それなら(このデフレ不況を脱するために国内の需要創出のために政府が/引用社注)何をやるべきかっていったら、今民間が作ってないようなもので、なるべくみんなが喜ぶ物を作らなきゃいけない。そうすると、それって一般用語で言うと、無駄な物とか贅沢品なんですよ。
(中略)
だから、僕が言う無駄っていうのは、とりあえずはいらなくて、一見贅沢に見えるけど、それが実は無駄じゃないってことですよね。
考えてみたら60年代の高度成長も、田舎の姑が嫁に「私たちは洗濯は洗濯板やったし、子供のおしめもちゃんと洗ったし」みたいな、わけのわからないことを言って(笑)、洗濯機や冷蔵庫は贅沢だと言ったわけで、でも、それが欲しいという嫁の一念が経済成長を促したわけです。

(太字は全て引用者)

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by darsana-te2ha | 2009-06-08 13:29 | 世界情勢


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