カテゴリ:シオニスト・ネオコン( 10 )

2008年 08月 03日
口封じの「自殺」か?
 911テロがアメリカ政府によるインサイドジョブ説が囁かれる中、政府関係者の「自殺」という下記のニュース。口封じだったりして。

炭疽菌事件で訴追予定の科学者が自殺、治療研究の第一人者
8月2日11時10分配信 読売新聞
より
 【ワシントン=宮崎健雄】米ロサンゼルス・タイムズ紙などは1日、米同時テロ直後の2001年秋、米議員事務所などに炭疽(たんそ)菌入りの封書が送られ、5人が死亡した事件で、連邦捜査局(FBI)が近く訴追する予定だった科学者が自殺したと報じた。

 この科学者は、メリーランド州フォート・デトリックの陸軍感染症医学研究所で勤務していたブルース・アイビンス氏(62)。7月29日、薬物の大量摂取で死亡した。

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by darsana-te2ha | 2008-08-03 21:00 | シオニスト・ネオコン
2007年 02月 28日
アメリカというか国際金融資本というか…。
 ベンジャミン・フルフォード氏の新著「ユダヤ・キリスト教世界支配のカラクリ」の出版つぶしのために、アメリカのユダヤ人団体が出版元の徳間書店に圧力をかけているそうです。「自由の国アメリカ」の正体とはこんなもののようです。

http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/02/post_26.html

 アメリカ政府から日本政府への「年次改革要望書」と同じく、表面紳士的 but その実、恫喝でゆする手法は、かの職業の方々にクリソツです(笑)。個人的にはマジギレ寸前(ってオレ一人怒ったところで、世の中的にはどーとゆーことないんですけど…(T_T))
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by darsana-te2ha | 2007-02-28 00:55 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 18日
シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-3
「シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-2」からの続きです。

 引き続き、「カバラーの世界」パール・エプスタイン著 松田和也訳 青土社刊より引用します。

(引用開始)
 ルリアによれば、個人的な瞑想におけるカバリストの責務は、今や宇宙さえも包含している。浄化された謙遜な精神がひとたび神聖な源に専心すれば、それは新たなる力をもって下降し、下の諸世界に至る。そしてそこに住むあらゆる存在、花や鉱物、悪霊などを含む物質の滓から、聖なる火花を回収するのだ。この目的のために、アリ(ルリアの別名)は全く新しい精神集中の体系を創始し、その精密な精神演習を、毎日の祈りの文字や句に付するカヴァンノト(特定の視覚化を示す鑑賞の象徴)という形に描いた。
 この訓練を行うには肉体と精神のこの上なき純粋さが必要であったため、アリはこれと同時に矯正(ティクン)と呼ばれる過程を創始した。師家から弟子へ個人的に手渡されるこの術式は、弟子の魂の欠陥を取り除き、その魂に映るすべてのものを浄化する道を準備するために整えられたものであった。

 先述の佐藤優氏が指摘していた「神の収縮」は、要点のみの記述でわかりにくいかもしれませんが上記から導き出されたものです。更に引用を続けます。
 だがこの(ルリアの弟子たちが集まる)寄宿舎での実験は、<子獅子>(ルリアの弟子たち)の家族らの些細な世俗的問題に関する口論によって不首尾に終わった。アリはこの知らせに痛く失望したが、弟子たちは共同生活をやめてもなお個々の修行を続けた。やがて彼らは各人の知識の範囲と霊的な発展の度合いによって二種の範疇に分かれていったが、アリ自身は、彼らは実際には全員が一つの大きな有機体の成員であり、その有機体は全員の霊的な希望と大志を代表するものである、という観念をさらに深化させようとしていた。このイメージを常に心に置きながら、隣人の善のために祈れ、と彼は<子獅子>たちに説いた。そうすることで、自分自身を愛したり気遣ったりする以上に隣人を愛し、またそれ以上に全イスラエルを愛するように喚起したのである。その祈りは「イスラエルのために、イスラエルに置いて、イスラエルと共に……」献身すると謳う。アリ自身は弟子たちにあらゆる被造物を別け隔てなく愛するように言っていたが、この祈りによって不注意にも、カバラーの信仰と修行の大きな特徴であり、またその後二百年もの間続くことになる民族主義的な立場を導入することになってしまった。また、サバタイ・ツヴィ(1626年トルコ生まれ。自らをユダヤのメシアを自称し、その後オスマン・トルコ皇帝によって投獄されイスラム教に改宗/当ブログ管理者)の破壊的な偽救世主運動への扉を開いたのも彼の「民族主義」に他ならなかった、という者すら存在する。
 だがアリ自身は、すべての被造物を例外なく愛していた。昆虫や芋虫のようなものすら嫌悪することなく、こうしたものもまた霊魂の輪廻の途上であると説いたのである。魂をもたぬ物体ですら、彼の目から見れば霊の言語を通じて交流可能なものだった。それゆえに、ルリア派の祈りの言葉は全て、それを文字どおり解釈しようとするあらゆる努力を超越する秘儀を含んでいるのである。(中略)アリの体系においては、真の祈りは純粋な人間によってしかなし得ない。この純粋な人間は<神>を讃美するために口を開かずとも、すでに宇宙の<王冠>(“セフィロト[生命の樹]”の最上部であり、至高・無・超越・言葉の象徴/当ブログ管理者)の無限の領域にの中にいる。さるほどに、アリは単純・謙遜・慈悲などの美徳をバヒヤ(11世紀のユダヤ教神秘主義者/当ブログ管理者)やコルドヴェロ(ルリアとほぼ同年代のカバリスト。1522~70年/当ブログ管理者)以上に強調したのである。こうした美徳を自ら実践して示すことで、アリはツファット(ガリラヤ湖の北に位置する、ルリアと弟子たちが住んでいた町/当ブログ管理者)の共同体を鼓舞した。(中略)
 シナゴーグに入る前に、弟子は慈善のための寄付を匿名で行い、それから頭と腕に聖句箱を縛り付け、朝の祈りの間中それを身につけておく。前日の行動と思考を心の中に詳しく述べた<子獅子>は、自分が生き物を傷つけることがなかったかどうか、徹底的に確認する。アリによってカインの魂の子孫であると(殺生を犯してしまったという意味でしょう/当ブログ管理者)見抜かれた弟子は、食卓にナイフを置くことも許されず、体や衣服についたダニやシラミすら殺してはならなかった。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)

 上記引用文にもあるように、ルリアは古代インドのジャイナ教並みに殺生を禁じていたようです。自らが善であれば殺人も厭わないというアメリカのネオコンですが、もし佐藤優氏がおっしゃっていたように、ルリアの宇宙観をもとにその思想を築いたというのであるのなら、それはルリアの言葉の本質を無視して我田引水的に利用をしただけなのではないでしょうか?
 ただ、被差別民族としての苦しみの中で、日常的に悪や神について自問自答せざるを得ないユダヤの民の心に、ルリアの悪についての考察が響いたであろうことは容易に想像できます。そういった意味ではルリアに対するシオニストの“誤解”も、ユダヤ人を長年差別し続けたヨーロッパの歴史と不可分なものなのかもしれません。そうだとすればイランのアフマディネジャド大統領による、シオニズム・イスラエル問題はアラブ・パレスティナではなくヨーロッパで解決すべしという発言も、あながち間違った意見ではないように思われます。 


 今や実質シオニストに乗っ取られてしまった軍産複合体国家アメリカは、戦争をやっていかないと経済的に立ち行かなくなってしまってるんでしょう。戦争中止イコール経済崩壊です。
 藁をもすがる思いで、戦争遂行の理由付けが欲しかったのだろうと思いますが、ヤラセ疑惑も囁かれてる9.11も含め、目的のためなら手段を選ばずで、自らの暴力を正当化するためには利用できるものはなんでも利用してしまえ、という姿勢には大きな疑問を呈せざるを得ません。

 アメリカ支配層周辺の人たちの多くが信仰していると言われるキリスト教原理主義と共に、ネオコンは神に近づくために最も大切な心のあり方とされる、ルリアの言う「謙遜な精神」を見失ってしまっているようです。
 ここのところ彼らがとっている唯我独尊的行動を見ると、住民たちが利己主義に走ったことによって神に滅ぼされた街―ソドムとゴモラを彷彿とさせられるのは僕だけでしょうか…。

 実際にユダヤ人たちの間からも、シオニズムやイスラエルの建国について批判的な意見が出ているようです。
 「シオニズムを批判するユダヤ人たち」より
(引用開始)
「ユダヤ的遺産は明白であり、間違えられようがない。それは変わらずに続いてきた。一方、シオニズムは特定主義であり人種差別主義であるのに対し、ユダヤ教=ユダヤ主義は普遍主義であり人種統合主義である。

ユダヤ教はキリスト教やイスラム教と同じく一神教であり、つねに道徳的選択と人間と創造主の間の精神的結びつきを代表してきた。そこには狭量な排他主義の入る余地はほとんどなかった。それに対しシオニズムは、土地へ執着し、しかもその土地は2000年もの間ユダヤ人には属していなかったのである。

(中略)

「現代のパレスチナにあるユダヤ国家は、聖書や聖書預言によって正当化されるものであるというシオニストたちの主張を支持するものは、『旧約聖書』にも『新約聖書』にもないということに私とともに研究している者たち全てが同意している。更に聖書預言という“約束”は、ユダヤ人やシオニストだけではなく全人類に適用されるべきものである! “勝利”“救い”という言葉は本当の聖書の意味としては宗教的・霊的なものであって、政治的な敵を征服するとか崩壊させるとかいう意味のものではない。」

「『新約聖書』を信じるキリスト教徒であるならば、もともとそこに住んでいた人々から政治的、また軍事的力によって奪い取ってつくった現代のイスラエル共和国を、キリスト教徒の信仰の神の“イスラエル”と混同させてはならない。これら二つのイスラエルというものは完全に対立しているものなのである。」
(引用以上)


 ユダヤ教に限らず、仏教、キリスト教に於いても悪は、善へ導くための逆説的な方便としてのみ有効なのではないでしょうか。自らが恣意的に策定した“悪”を駆逐するために、暴力をも厭わないシオニスト・ネオコンやキリスト教右派による利己的な終末思想・選民思想を信奉する連中に、それなりの結末が待っていることを信じております。
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by darsana-te2ha | 2006-08-18 12:23 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 17日
シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-2
「シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-1」からの続きです。

 それでは、ルリアの生前はどんな人物だったのでしょうか。アメリカ在住ユダヤ人カバラ研究家によって1978年に書かれた「カバラーの世界」に、彼についての逸話に多くのページが割かれております。

 「カバラーの世界」パール・エプスタイン著 松田和也訳 青土社刊より

(引用開始)
(8年間にわたる修業中)ナイル河畔の小屋に一人籠もり、五日間ぶっ続けで研究と瞑想に打ち込んだ後、ようやく安息日になって町中の家族の許に戻ったのである。さらにその後も、祈りと断食、そして『ゾハル』(『光輝の書』13世紀スペインの神秘学指導書)だけを友とする生活が続いた。こうして二年が過ぎるころ、預言者エリヤが幻視の中に現れ、個人的に秘儀を授かるという体験をする。(中略)さらに、彼は他人の顔や行動、未来の考えに至るまで、その人と実際に会う前に判ってしまうという能力まで身についたのである。この夜の集会の間に、輪廻転生のすべての秘密が明かされ、アリ(ルリアの別名。彼のイニシャルを組み合わせた名/当ブログ管理者)は「古い魂」と「新しい魂」を区別することを覚えた――彼は他人を見て、即座にその霊的な進化や退化を読み取れるようになり、蝋燭の炎の中に未来を見たり、義なる人の魂を見定めたり、彼らと会話したり、または共に学んだりすることすらできるようになった。(中略)アリ自身はあまりにも世俗を超越していたため、そのメッセージを書物に著すには、もっと活動的で現実的なヴィタル(ダマスカスで啓示を受け、ツファットに赴きルリアの弟子になった学者兼ラビ。1543~1620/当ブログ管理者)のような人間の援助が必要だったのである。
「[自分で書物を書くことは]不可能である、何故ならすべてのものが互いに関係しあっているのだから」、かつてアリはそう言った。「私が何か語るために口を開くだけでも、常に海が堤防を決壊させ、洪水を起こすような感覚を味わう。ならば、如何にして私は自分の魂が受け取ったものを表現し、それを書物に書き留めることができようか」。カイム・ヴィタルは、講義のメモを取ってはならないという制限の下で、ルリアの全体系の片言焦句に至るまでを、煇しく統一の取れた全体にまとめ上げた。
(引用以上)

 輪廻転生まで出てきて、まるでインドの聖者のようなルリアですね。インドに限らずイスラム神秘主義の聖人のあり方とも共通する部分を持った瞑想の大家であったようです。そしてガリラヤ湖の北のツファットでの12人の弟子たちとの共同生活の中で、“人と<神>との間に立ち塞がって偏在する善と悪の混じり合いについて考え始めた”(前掲「カバラーの世界」より)ようです。
 ルリアは弟子たちの霊的進化のために悪の問題と格闘し、そこから「神の収縮」という考え方が導かれたようですね。それはネオコンが考えるような物質的な暴力を肯定するような神学ではなく、瞑想の中での微妙な心理をコントロールするための処方箋のようなものであったわけです。
 ただ、言葉にできない感覚を言葉にする過程で、後にシオニズムに結び付けられたような象徴言語を使ったことによって、後世大いなる誤解を招かれてしまったのではないでしょうか(ユダヤ教徒でもない自分がこのようなこと申し上げるのは僭越なことかもしれませんが…)。これはルリアに限らず、言葉になった教義を後世の人々が解釈する際に、解釈する人の心の在り方が反映されるゆえだろうと思われます。具体的な状況で、具体的な相手に、具体的なアドバイスとして発せられたはずの言葉がテキスト化され、相手も状況も抽象化されたことによって生ずる齟齬です。

「シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-3」へ続く。
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by darsana-te2ha | 2006-08-17 16:41 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 17日
シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-1
 先日、佐藤優氏による「国家の自縛」を読んでいたら、ネオコン思想の真髄だろうと思われることが詳しく書いてありました。氏はなかなか鋭いところを突いておられるようです。
 しかし特に下記引用部分後半は、オーム真理教の所謂「ヴァジラヤーナ」とパラレルな自己中心的で強引な世界観に思えてならないのですが、はたして、ネオコンの総帥といわれる在米ユダヤ人思想家アービン・クリストルが引用したというカバラ思想も、そのような唯我独尊的な思想だったのでありましょうか。

「国家の自縛」 佐藤優著 産経新聞刊より
 (引用開始)
 クリストルはユダヤ思想、イスラエルとの関係についても、相当踏み込んだ記述を展開していて、先ほども述べましたが、二十世紀におけるユダヤ教の秘密の教えである「カバラの知恵」研究、とくに「神の収縮」概念研究の第一人者とされるショーレムにも言及しています。「神の収縮」概念と言われるとイメージが湧きませんが、ユダヤ・キリスト教文化圏では、「善である神が世界を創造したのに、現実世界には悪が存在する。仮に神が悪を創造したとするならば、神に悪が存在することをどう説明するか」という深刻な難問(神議論あるいは弁神論)が存在します。これに対する理論整合的な回答の試みが「神の収縮」なのです。
 どういうことかというと、全能の神は、初めは全世界を覆っているのですが、人間と世界に自由を与えるために、自発的に収縮してしまうのです。この神が収縮してしまった空間に出来たのが「この世界」で、そこで一部の人間が恣意的に振る舞うので悪が生まれ、神が収縮した後に残された空間は物質の世界なので、そこでは世界は唯物的に、つまり「力の論理」で動くことになります。他方、神が収縮して内在している世界は厳粛に存在しているのですから、ここまでを含めて考えるのならば、神は存在するのです。従って、唯物論的な「この世界」と神の存在が矛盾することなく説けるのです。
 ちなみに、神が収縮した「この世界」において、悪を放遂することにより、神が収縮する以前の世界を回復することも理論的には可能になります。トロツキズムの世界革命の思想構造は「カバラの知恵」で考えられている神の国の実現に非常に近いのです。
(中略)
 私が見るところ、ネオコンは十分神学的な課題で、要するに、何らかの「正しい理念」が存在するならば、それは彼岸ではなく此岸(この世界)で実現されなくてはならないというユダヤ教、キリスト教に流れる一つの潮流がクリストルの思想に端的に現れています。
 その逆が「正しい理念」を彼岸にのみに認め、それとの合一を説く神秘主義です。
 そして、ネオコンの思想は、この世は「悪」なのだから、「悪」の中で「正しい理念」を実現するためには、暴力の行使や殺人を含む措置は一定の条件下では「悪」とは言えなくなるという社会倫理と結び付きます。もちろん「善」として積極的に是認することはできないので単純な聖戦論にはならないのですがね。文学の世界で言うならドストエフスキーが「カラマーゾフ兄弟」の中で描いた「大審問官」の問題ですよ。
(引用以上)


 そもそもユダヤ教における神秘思想や神秘修行は、地中海周辺に勃興した他宗教と同じく、古代より連綿と続けらてきているようです。その流れの中、「カバラ」という名は12世紀半ばに南フランスで始まったそうです。その後ヨーロッパから中東にかけて、元々あったユダヤ教神秘主義と融合しながら広まっていったようです。
 クリストルが参考にした「神の収縮」概念を提唱したのは、16世紀にエルサレムで生まれたイツハク・ルリア・アシュケナジ(1534~1572年)です。それまでの伝統的なカバラに新たな解釈を加え、後のユダヤ教全体に大きな影響を与えた人物でした。

「Books Esoterica-13 『ユダヤ教の本』」 学研刊(引用部分は藤巻一保著)より

(引用開始)
 前項で見られたように、神の創造はエン・ソフ(神の流出が始まる前の宇宙が未生の状態/当ブログ管理者)から始まる。カバラやユダヤ教哲学では交じり気のない神性の合一体と考えられていたが、ルリアはこの伝統的なエン・ソフ観に大胆な変革をもたらした。
 彼のエン・ソフの中に、後にセフィロト(一者である神から流出した下位の多的世界のこと。“生命の樹”と呼ばれるカバラ独特のシステムによって解釈されている/当ブログ管理者)的流出の過程で展開するはずのもろもろの神性とは“異質”の要素──すなわち、悪の要素が混在していたと考えたのである。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)


 16世紀に現れた、カバラ及びユダヤ教の変革者ルリアとは、どんな人物だったのかを中心に 「シオニスト・ネオコンに我田引水されたカバラ思想の巨人ルリアについて。-2」に続きます。
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by darsana-te2ha | 2006-08-17 01:21 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 11日
「ネオコン」(備忘録兼ねて)
 “ネオコン”についてのHP発見。ううむ、妙に納得。ちょっと古いソースで既にご存知のかたもいらっしゃるかもしれませんが、日本も含め世界で今起こってることの元じゃないでしょうかね、これ↓って。

http://www.gameou.com/~rendaico/bushco/neocontotrokkizm_history.htmより。

(引用開始)
 アーヴィング・クリストルやノーマン・ポドーレツらは、第四インター系の社会主義的世界同時革命を捨て、アメリカとイスラエルが手を組みシオニズムを旗印に世界支配を企てるという理論を創造していった。この理論が次第に影響力を持ち始めネオコンを形成していくことになった。

 この論理は、世界同時的社会主義革命で世界を「解放」しようとしたトロツキー思想の化身したものに他ならない。トロツキズム的「世界革命」の論理をストレートに国際金融資本の「世界革命」へと転じさせた思想を支えとしている。

 目的や理念のためには手段を選ばない現実政治主義を特徴としている。政治のマキャベリズムに通暁し、グローバリズムや自由主義だけではなく、利用できるものは「愛国主義」や「反テロリズム」から「大イスラエル主義」や「宗教右派(キリスト教シオニスト)」まで手当たり次第に利用するところに特徴がある。

 ネオコンは空理空論家ではない。9・11以降の世界史は、むしろ国際金融資本勢力による「世界革命」が進行している過程にあると考えられる。ネオコンが推進している「世界革命」を第4次世界大戦と呼ぶ人もいるぐらいである。そのネオコン=世界革命家が利用している最大でかつ最強の手段が、米国の権力機構である。彼らは、米国や米国民がどうなるかについは、支持を得る手段としての口先とは違って、本質的に関心を持たない。世界革命の推進力として米国権力機構を最大限に利用することにのみ主眼がある。

 ネオコンは革命の夢想家では無い。石油と軍事を中核にした利権屋でもある。但し、単なる利権屋とすると見間違う。彼らは利権屋でありながら、世界的に普遍化すべき理念・価値観・制度・政策を持っている。そのような理念・価値観・制度・政策を現実化することこそが、最大の利権になるとも考えている。

 ネオコンの思想及び政治哲学には、ユダヤ主義的な「選民選良知的エリート」による愚民支配社会が前提にされている。彼らはかっての「革命の輸出」に代わって「戦争の輸出」を辞さない。それが如何に暴力的過程を通ろうとも、エリートによる愚民支配には正当性があると考えている節がある。

 ネオコンは政治プロパガンダの果たす役割の重要性を的確に認識している。それは情報コントロールであり操作として立ち現われる。従って、ネオコン登場以降のメディアにはジャーナル性が失われており、迂闊にその喧伝に振り回されるのは愚昧である。今やそういう時代に突入していることが知られねばならない。
(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)

 うがった見方かもしれませんが、レバノンでの悲惨なニュースを目隠しするための、カムフラージュ用のヤラセだったりしませんか、今回のテロ未遂発覚。

 欧州の株も下がったそうで、空売りで儲けた、政府周辺のインサイダー疑惑ユ金融関係者とかもいたりして…。儲けたカネをイスラエル軍支援のため送金、なんてね。
 なんてことまで妄想してしまう、最近の米、イスラエルの強引な動きです。


Excite エキサイト : 国際ニュース
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by darsana-te2ha | 2006-08-11 11:20 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 10日
中国共産党と道教について。
 引き続き山手國弘氏の講演録からの抜粋です。今回は中国共産党と道教の関係についてです。
 中国によるチベットへの軍事侵攻や、リアルタイムで接した天安門事件には、ほんとうに腹が立ちましたが、最近マスメディア上でよく見かける扇動的な反中記事にはちょっと違和感を感じています。そんなマスコミの姿勢に対する(それら反中プロパカンダのバックには、台湾ロビーやアメリカの軍産複合体がついているらしいですが…)ささやかな抵抗も込めて、下記転載させていただきました。

 半資本主義化した今の中国なので、沿岸都市部を中心に欧米ユダヤ的なものがだいぶ入ってきているのかもしれませんが、農村部にはまだ伝統的な道教色が色濃く残っているようです(参考ブログ記事:「東アジア共通の価値観」)。ただ、今後経済性優先で伝統的な農業を破壊しモノカルチャー農業になったりするとちょっと危険かもしれません(毛沢東が中心となって文化大革命を行なった過去を持つ中国共産党ですし、その内部には様々な勢力がいるでしょうから、注意すべきところは注意すべきだとも思っております…)。

 日本にも、伝統的な仏教、儒教、神道的価値観というのものが、近現代資本主義社会という表面の奥にある基層に残ってきましたが、バブル崩壊後、アメリカ(アングロサクソン+シオニスト・ユダヤ)がそこを集中的に破壊にかかり、ここにきてその成果も現れてきてるようですけど。
 しかし、ポスト資本主義社会に向け、日本文化の伝統である、自然を尊重する文化、また水田耕作における水の分配のようなコミュニティ重視のあり方をもう一度思い出し捉えなおす時だと思います。また、そのような伝統的なアイデンテティのあり方は、東アジアの道教文化圏(古代華僑のネットワークが東アジアに道教思想を広める役割を担っていたようです。)に共通するものだろうと思います。日本が持つ技術力と資金を使って、そのような人や社会のあり方を、この地域のために新たに生かせるようにしていけないものでしょうか。
 アメリカ+シオニスト・ユダヤによる金融帝国主義に立ち向かうのに道教の思想が有効ではないかと、最近ご自身の著作上で副島隆彦氏も述べておられます。

 世界を分けるのに、地政学的な見方ばかりではなく、他者を尊重する開かれた社会を志向するのか、自己中心的な搾取的社会を志向するかといった視点を基準にしていけないものでしょうか。

http://www.demeken.co.jp/tokiwa/meta/sougyo/71.htmlより

(引用開始)
南北問題の南を基盤にした、第三世界を基盤にした変革の思想が毛沢東思想だった。中国の革命が社会主義革命というのは見かけ上です。あれは単なる社会主義革命ではない。もちろんソ連も根っこには、それがあります。多民族国家ですから……スラブだけではなくて、アジア系、トルコ系、いろいろいますから、ソ連にもあるんです。
(…中略…)
ですからソ連、東欧が崩壊しても、同じ社会主義だから中国も崩壊する、と見るのは浅はかですね。中国は単なる共産主義、社会主義ではない。 そのことがわかったのは、イオのメンバーに劉さんという人がいるんですが、私が戦後すぐに日中貿易の引き金を引いた時に、会社を紹介してくれた人なんです。偶然、中国ともそういう根っこのやり取りをした経験をもっているんですが、その時に、中国に長くいた北原さんという、日本の共産党の初期の幹部で、野坂三蔵なんかと同期の人と、偶然知り合ったんです。もう共産党は離れていましたが、北京から帰って来たところで、その人を通じて中国共産党や中国社会のその頃の状況を教わった。その時、中国共産党の基盤は何かと聞いたら、幇だという答えが返ってきた。秘密結社のことですね。幇はその頃、中国全土に千数百あったと言われています。日本で言えば頼母子講や観音講のような、自然発生的な土着の相互扶助組織、生存基盤ですね。これを組織化したらしいんですよ。だから全くあっという間に、雪崩を打つようにひっくり返したでしょ。国民党の政府軍の連中も、国に帰ったらみんな幇のメンバーだからです。幇を押さえたほうが強いんですよ。国民党が押さえていたのは、(ちん幇)、(ほん幇)という官制の幇、官制の秘密結社だけだった。ところが中国共産党が押さえたのは、いわゆる郷村自治という思想があって……(りょうそうめい)という人の思想ですが……それを基盤にした運動を中国共産党はそっくり借りたんです。(りょうそうめい)は共産党員ではないんですが、参加をした。中国共産党は社会主義思想を幅広く解釈して郷村自治運動を取り入れたので、いわゆるソビエトとは違った意味で、のちの人民公社というのもそのひとつですが、人民公社よりもっと根が深い。幇、郷村自治です。このことをその頃知ったものですから、これは社会主義ではないと思ったんです。

さらに郷村という場合、今マレーシアとかシンガポールへ行ってもそうなんですが、中国社会では郷村=幇で生きてますから、彼らが根っこにもっているのは、孔子の思想、官吏の登用試験に出てくるような政府を構成する人たちの原理です。しかし、一般の人たちはそうではない。老子、道教なんです。東南アジアに行っても、華僑の人のいる所には道教寺院があるでしょ。そこでさまざまな祭りがあり、生活様式が出てくる。そういう意味では、郷村自治運動に基盤をおいている中国共産党の思想基盤の中には、表に出してないけれど老子の思想がある。民衆の郷村自治の哲学のようなもの、これも本体論、オントロジー(Ontology。哲学用語で存在論のこと。ここでは主客一如、認識する側とされる側は一体であるといった意味で使われているようです/当ブログ管理者)なんです。

老子の思想は、日本人なら誰でも知っているようですね。太極の思想であるとか、“道”の思想です。宇宙空間全体を、インドでブラフマンと言っているのと同じものを基盤として、すべてのものがそこから流れ出てくるという思想です。自然界も人間も全部そうですから、それによって自然に物事を変化させていく、自然的な変革……その思想が老子ですね。これは、西欧的な、理知によって計画的に編成していく社会主義とは全然違う。 社会主義は明らかに個の思想です。ヒューマニズム。サルトルも「共産主義とはヒューマニズムなり」という言い方をしていますよね。言い換えれば、個の思想であり、個人の人権を社会的に合理的に編成した時には、社会主義、共産主義になる。しかし道教とか老子の思想を社会的に、あるいは自然界にまで当てはめて広げていった時には、西欧的な社会主義、共産主義にはならない。別のものなんです。このことは、まだ日本では理解されていないですね。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)



 もう一つ、ご参考までに、「ゴルゴ14 田中角栄を殺したのは誰だ」より。
 30年前に日本とサウジが中心となってアジア大陸での反ユダヤ・アメリカの同盟を模索するも、つぶされてしまった経緯についてのブログ記事です。当時の田中首相率いる日本に変わって、現在中国がイニシアティブをとって(日本もサウジもかつての志は今いずこ、両国ともアメリカのポチ国家に成り下がってしまっているがゆえ)上海条約機構を使って、反ユダヤ・アメリカ同盟を構築しつつあるように見えます(同時に中国内に多数いるイスラム系住民コントロールのための防波堤的意味もあるのでしょうが…)。
(引用開始)
OPECをユダヤの支配に対抗する勢力として育て、PLO解放戦撃を強力に支援した。田中角栄のブレーンたちは、もちろん、日本をこのファイサルの動きと結びつけるべ進言したであろう。日本・韓国、中国、サウジアラビア。
この四国同盟の萌芽が成長し続けるなら、これはユダヤにとって重大な脅威となる。アジアとイスラム圏が連合同盟して、ユダヤに対峠する。そしてその中核に日本が位置し・しかも世界の石油の過半がこの同盟に握られてしまう。
これはユダヤにとって悪夢だ。どうするか?
ユダヤは、ファイサルを暗殺するしか選択の余地はない。しかし、同時に、彼らはサウジ王族のなかに浸透し、金の力で親ユダヤ・親欧米派を育成しなければならない。
ファイサルを除去して、即座に親ユダヤの国王を就任させなければならない。この工作は米CIAによって実行された。ファイサル国王は暗殺され、サウジアラビアはユダヤ(アメリカ)のコントロール下に引き戻されたのだ。
日本には、ユダヤ・アメリカのこうした情報、スパイ工作を監視・分析する国家機関もないし、そもそも、そのような国家意志をもつことが許されていない・・
(引用以上)

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by darsana-te2ha | 2006-08-10 18:06 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 08日
補足:ポスト資本主義社会への産みの苦しみ、なのかな。
先日書いた「ポスト資本主義社会への産みの苦しみ、なのかな。」の補足です。

 引用した文章にある「ユダヤ」ですが、ユダヤ人全般をいってるわけではなく、所謂“シオニスト”と呼ばれている一部のエリートユダヤ人たちとその思想のことだと思います(アメリカ政府を乗っ取った“ネオコン”もこの一味でしょう。またアメリカを影で操っているといわれるロックフェラー財閥は非ユダヤのWASPと言われていますが、その実態はユダヤ・シオニストと不即不離らしいです)。
 ユダヤ人のアーティストに素晴らしい人たちも多くおりますし、ユダヤ人による科学の発見も人類に貢献したものが多々あると思っています。
 ただ上記“シオニスト”たちには、ヤドカリの宿主である他民族はおろか自民族をすら犠牲にして、世界を牛耳ろうとするとんでもない輩がいるようで、その人たちは早晩地球上からお引取りいただきたいと思っております。

新井信介のホームページ「京の風」より

(引用開始)
そして、 ヒトラーに、ユダヤ人を迫害させ、それ以前までにユーロッパ社会で、
ドイツなり、フランスなり、ポーランドなり、それぞれの国に溶け込んでいた
ユダヤ人たちに、 強引に民族意識を覚醒させ、 独自国家の建設願望を
引き起こさせました。  そうして1948年に生まれた国が、 イスラエルです。

で、こうした大戦略ができた出発は、1897年のスイスのバーゼル(BISの本部
がある)での第一回、世界シオニスト会議だったようです。
同胞を傷つけてまでも、民族的覚醒を促す。

さらに、そうした、ユダヤ人の動きを利用して、大きな資金移動を完遂し、
イギリスからアメリカに、覇権を移す。

ここまで、考えていた人間は、シオニストで、さらに、人種差別主義者という
意味で、シオニスト・ナチと、呼ばれているようです。

で、 どうも、こうした人間が、未だに、世界には、いるようなのです。

彼らが、人類の未来に、何らかの作為を持っているとして、 
私たち日本人の周辺は、 今後、どうなっていくのでしょうか? 
(引用以上)

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by darsana-te2ha | 2006-08-08 12:07 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 05日
別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-2
「別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-1」からの続きです。

 山手氏の下記の文章が書かれた頃には、まだ崩壊してなかったソ連ですが、ソ連崩壊後の現在のロシアのプーチン大統領による政治経済の態勢を見ると、西欧的なヒューマニズムによるそれとはちょっと違っているように見えます。西欧キリスト教に於いては神は不可知なものとされていますが、ロシア正教では神と人との交流を認めているそうです。そのへんはアジアの神秘主義と相通ずるものがあるようです。そのような観点から考えると、ソ連の共産主義政権というのは、ロシア・東欧にいたユダヤ人からの影響が強い政治体制だったのかもしれません。
 そしてアメリカ支配層のネオコンのメンバーの多くが、かつて左翼思想、トロツキーを信奉していたという事実を見ると、ソ連の中にあったユダヤ・シオニスト的なエッセンスが現在アメリカに移動して、“天敵”であるアラブ(イスラム)やロシア(正教)を攻撃しているという見方ができませんでしょうか(そのように考えると、白人系ユダヤ人=アシュケナジームの出自であるハ(カ)ザール国が、かつて周囲のイスラム教国に翻弄され遂にはロシアによって滅ぼされてしまった過去に対する怨念というものが、未だに残っているようにも思えてしまいます)。

http://www.demeken.co.jp/tokiwa/meta/sougyo/71.htmlより

(引用開始)
日本もちょっと、近代国家として対応する時はずれている。しかし、何とはなしにアラブの心情は理解できる。日本人も曖昧なところが、“世間様”という場の思想がありますから。アラブでは世間様ではなく、“インシャラー”と言うらしいですね。“神の御心のままに”と。宇宙がどうしたらいいか決めてくれる、自分が決めるわけでもないし相手が決めるわけでもない。人間が決めるわけではなくて、結局成り行き次第ということでしょうか。日本辺りでは自然随順、随神の道というのもそうだったんでしょうが、“自然のままに”というのを向こうではインシャラーと言っている。一脈通じるものをもっているんですね。

ユダヤ教宗教改革の延長で、宇宙意識を取り戻す、本体論的な記憶回復をする運動が起こり始めていると見ていいんじゃないかと思います。 当然その次にやってくるのは、経済原理、社会原理の変革で、今起こりつつあると思います。それを非常に恐れたのがソ連であり、アメリカなどの西欧社会ですね。イスラム原理主義が入ったら困るという恐れがあって、アフガニスタンに侵攻したらしい。もうあと戻りができないほどにソ連社会が分解し始めている引き金は、イスラムなんです。ソ連社会の人口の1/4がイスラムですから、もうどうしようもない状況です。中近東、アフリカ、そして今はイスラムの人たちがどんどんヨーロッパになだれ込んでいますから。イスラム文化の影響は、西ヨーロッパまで広がっているという状況です。それが今度のイラク問題に現われている。アメリカを含めた近代西欧社会の中でのイスラム革命ですね。イスラム革命というのは、ルネッサンス以降、特に強く現われた経済原理や科学技術の原理で編成された近代西欧社会の、もうひとつの変革なんです、次のステップへの。本体論的なオートノミー(=autonomy:自律。ここでは自発的な行為といった意味で使われているようです/当ブログ管理者)に移る。そう見ないと理解できない。 そこへもってきて今度は同時に南北問題があるでしょ。東西関係が未来までシフトするわけですね。米ソの関係が融和したのは、実はイスラムの問題が出たからだと考えられますね。

次の宗教改革の余波が、次の経済革命、産業革命、社会革命、文化革命の方向へ伸び始めていますからね、東西関係が。もう米ソ対立と言ってられない。ほとんど同じ原理ですから。たとえ社会主義、資本主義といっても、所詮、経済原理はほとんど同じですからね。賃金、地代、利子の経済原理は、同じオートノミー。科学技術も同じ思想です。ところがイスラムとなるとちょっと違うんですよ、原理的に。同じ延長線上だけど、原理的にはどかっとオントロジー(Ontology。哲学用語で存在論のこと。ここでは主客一如、認識する側とされる側は一体であるといった意味で使われているようです/当ブログ管理者)に向かってしまう。インシャラーになっちゃうわけです。宇宙に従いましょう、ヒューマニズムじゃなくてユニバーサリズムになりましょうというんですから、ソ連もアメリカも恐ろしいんです。これがフセインの自信なんです。論理的にそれを解釈しているわけじゃないんですけど、直感的な自信でしょうね。彼らは厳密な形では表現できないでしょうけれども、神と盛んに言っている。社会主義者でありながら、奇妙なことに無神論に近い社会主義でありながら……西欧にはキリスト教の社会主義もありますが……この頃フセインの言ってることは、神によって守られているとか、神の代理で動いてるという言い方でしょ。これから21世紀は、宇宙原理で動くということです。だから21世紀は自分たちの世紀だという自信をもってきている。これがソ連、アメリカには恐ろしい。自然法則以外何もないんですからね。 

ベトナムもそうでしたけど、ベトナムではシャングルの力と人間の力が一体になって、アメリカは泥沼になったでしょ。どんなに枯れ葉剤を使っても、ナパーム爆弾を使っても、結局はゲリラに対抗できなかった。砂漠だから隠れるところがないといっても、砂漠はまた自然のオートノミーをもってます。ジャングルのオートノミーとは違う。近代のハイテクも受けつけないような、ジャングルとは異質の、砂漠のオートノミーをもっています。これから自然の力をたっぷりと思い知らされる。そのことをフセインは知ってるんです。アラブの現地の人間はみんな知っている、何千年、何万年とそこに生きてるんですから。フセインが誤算してるとアメリカは言っていますが、我々の目から見るとそれは逆で、アメリカの誤算のほうが大きいんです。昭和20年代からアラブやユダヤ、イスラムの団体をつくってつき合ってきた経験から言っても、明らかに誤算しているのはアメリカです。

アメリカが介入する以前から、フランスと戦う以前から、ずっと見てきたんです。いかに近代国家は誤算するか。フランスも簡単に誤算して退いた。アメリカもベトナムに入っておそらく誤算するだろうと我々は思っていたんですが、やっぱり誤算して撤退。それと同じ感じが、今度のアラブにはあります。アラブの場合はベトナムよりさらに領域が広いし、複雑です。イスラム全体ですからイランも巻き込みますし、アフガニスタンも、ソ連や中国のイスラム圏、インドネシア、マレーシアのイスラム圏もですから、大変なことになる。アメリカは、なぜそんなばかげたことをやるのかと思ったんですが、よく考えてみると、やらざるを得なかったのかもしれませんね。だって、もしイスラムの原理が、一番西欧に近いものではあっても、近代西欧社会、近代の経済、文化の原理を変えていった時には、ソ連もアメリカもヨーロッパも、今の形は完全に崩壊するんですよ。あまり急速に崩壊させられては困る、ということもあったと思います。

ですから当然、革命に対する反革命のようなものが起こりますよね。今、ソ連のゴルバチョフが……彼もユダヤ人ですが……ソ連でもすごい変革が起こったら困るから、保守のほうへ引いているでしょ。古典的な社会主義のほうへ引き戻そうとしている。あんまり早い変革は崩壊につながるという危機感をもっています。これはアメリカもECも同じです。さっき言ったようなオントロジーの方向へ突き進むにしても、あまり早くイスラム革命が起こったら困るんですね。ですから、相当面倒なことになると重々わかっていても、やらざるを得なかったという側面はあったんでしょう。南北問題まで入ってくることがわかっていたら、本当はやれなかったはずです。南北問題が入ると、今度はイスラムだけじゃなく、第三世界全体を敵にまわす可能性がある。もうそういう雰囲気がありますから。ベトナム戦争どころじゃない。地球全体に拡大する状況になってしまう。もうそこへ入ってるんです。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)


 最近の上海条約機構の動きや南米の左傾化、ヨーロッパにおける移民の暴動、イラクでのアメリカの苦戦等を見ると、上記文章の予測がある程度実現しつつあるのかなとも思われます。また旧ソ連内における「オレンジ革命」もユダヤ+プロテスタント的なヒューマニズムと正教に連なる民族的なものとの相克として捉えることもできそうです。上記の文章から考えれば「ヒューマニズム」が次第に衰え「ユニバーサリズム」が立ち上がっていくようですが、その説と矛盾するであろう「民主主義(デモクラシー)は予定説的に世界に広まるものである」という「民主主義教」が、ブッシュ大統領やネオコンが言うように、果たして本当に世界標準となり勝利することができるんでしょうか。
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by darsana-te2ha | 2006-08-05 12:31 | シオニスト・ネオコン
2006年 08月 05日
別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-1
 90年代初頭に、山手國弘さんがご自身の現代ヨガでの体験を元に、社会科学的な見地から世界の現状や今後について説かれた中の、アラブと西欧近代との問題についての部分からの引用です。世界の国境はこの頃から多少変化がありますが(たとえばソ連、これは既に無くロシアほかの国々に解体され、逆にECは統合され拡大EUになっておりますが…)、2006年現在にも充分通ずる内容だと思われます。
 石油利権やイスラエルの国境問題とは別の、宗教から来る世界認識の方法や、社会文化的な側面から見たアラブと西欧的なものとの対立の原因と今後についてです。ハンチントンの「文明の衝突」にも近い内容ですが、山手氏は、西欧的な個と全体とが対立する価値観の衰退を予想されています。

http://www.demeken.co.jp/tokiwa/meta/sougyo/71.htmlより

(引用開始)
いずれにしても東西の問題は一応の決着がつきそうになっています。ところが、南北問題はこれからでしょ。それが現われているのが、今のイラクだと思います。イラクの問題があれだけ深刻に出てきた始まりは、近いところではアフガニスタンですね、結局イスラムの問題ですから。イスラムと近代経済社会、近代工業社会との衝突の問題です。キリスト教は原理的にはユダヤ教で、キリスト教のさらに徹底的な宗教改革がイスラム教なんです。ですから、パラダイムとして根っこは同じですけれども、類縁関係をもちながら、ユダヤとアラブはほとんど同じ民族でありながら、かなりかけ隔たれたパラダイムになってしまっていますね。
ユダヤ民族はセム族で、アラブ民族はハム族。セムもハムもほとんど同族です。神話でも同族というのは描かれていて、兄弟がユダヤとアラブに分かれたことになっている。もちろんパラダイムの元になっている旧約聖書も共通です。

それでは、なぜあんなに激しい対立をするのか、ほかの世界から見るとちょっと奇妙ですけれど、あの中には実は東西問題の、さらに未来に向けての延長線上の問題がひとつあると思うんです。 南北だけじゃなくて東西問題の延長があるというのは、アラブの回教徒の場合はユダヤ教キリスト教徒と違って、経済原理に相当大きな変革がありますね。例えば利子をとってはならないというのもそれに当たるんですが。専門家も見落としている大きな変革というのは、徹底的な宗教改革によって、実は人類のアイデンティティをものすごく変えているのがアラブだということです。アラブが奇妙でわかりにくいとよく言うのは、人間と人間の間の契約についてはルーズだということですね。商取り引きでも個人間のいろんな約束事でもそうですが、約束通りしない。道を教える時も正反対の道を平気で教えて、違ったじゃないかと言っても、しゃあしゃあとああそうですかという程度で、人間間の約束やつき合いについては、重点を全くおいていない。もちろん人間間ですから、国家と国家の約束についてもそれほど重点をおかない。

ところが、“人間と神”という言い方をするんですが、人間と宇宙原理とでもいう関係においては、ものすごく真剣になるらしい。宇宙原理に従うことにおいては厳密にそれを規定しようとするし、背くことには恐れを抱くんですね。死んだあとあとまでも運命が決まってしまう。だから、宇宙原理に従うか従わないかは、彼らにとって死活の問題らしい。 そこで考えられることは、アラブは人間間の約束事、社会的な約束事について比較的曖昧で、近代西欧社会は非常に契約的に厳密にやる……人権を尊重する、個を尊重する……やり方ですよね。そのどちらが未来的かというと、どうもアラブのほうに軍配が上がるような気がします。

どうしてかというと、今まで西欧のヒューマニズムに完成してきた、個の思想に完成してきたものは、人間という立場の重視、ヒューマニズムですよね。これは宇宙においては錯覚ではなかったか、という考えが出てくると思うんです。人間がもつ自然物という原則から逸脱しがちになりますよね。ひとり合点になる。地球上に余力がある場合、フロンティアが多い場合はそれでやっていけます。まあ、しわ寄せを自然に押しつけて、人間中心の生き方、生活様式をとり、社会的な構成をして、その揚げ句の果てに起きたものが公害だったんですけれど。それでもまだ余力のあるうちはいいけれども、環境問題が出てきたりすると、自然のサイクルに従わないといけなくなる。これはヒューマニズムとは違いますね。いわゆるオントロジー(Ontology。哲学用語で存在論のこと。ここでは主客一如、認識する側とされる側は一体であるといった意味で使われているようです/当ブログ管理者)に近い。

ヒューマニズムは、個の思想です。個を基準とした宇宙観。結局フェノメノロジー(phenomenology=現象学。ここでは主客分離、すなわち認識する主体と対象が乖離した形で世界を認識すること、いわゆる西欧自然科学的なものの見方を指しているようです/当ブログ管理者)になる。個が基準ということは、結局形あるものが基準ということですから、フェノメノロジーになりますよね。これは、この前の回で取り上げたオントロジー、本体論の裏返しです。その裏返しのほうにこれから近寄るだろうと推測できるんですが、その圏内で見れば、裏返しに近寄った始まりが、ユダヤ教、キリスト教に続くイスラム教であったと言えると思います。 ヒンズーとか中国の思想はまた違いますが、中近東辺りやヨーロッパに広がった思想の中では、生活様式の変化とか、社会、経済原理の発展が、全部個の原理に並行していますから、現代の文明社会をつくっている経済原理や科学技術の原理、工業社会の原理は、明らかにユダヤ教、キリスト教の延長ですよね。そこへアラブが後発の形で……宗教改革はずっと以前に行なわれたんですが、それを近代社会に体制として現わしてくるのが遅れていますね。これが今、出てるんだろうと思うんです。

ですから、人間関係とか社会関係がとても曖昧に見えるのは、実はアイデンティティ、リアリティを形あるもの、個々の単位や人間という個の立場におかないで、場や、ついには神と彼らが言っている宇宙原理、宇宙のほうにアイデンティティ、リアリティをおいた場合のものの解釈、生活の編成の仕方、社会の構成の仕方、ここへ無意識のうちにもっていっているからです。これがアラブだと思うんです。ですから、アメリカもヨーロッパも理解できない。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)


「別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-2」へ続く
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by darsana-te2ha | 2006-08-05 03:06 | シオニスト・ネオコン