カテゴリ:日米関係( 55 )

2007年 11月 11日
備忘録:基地害国政府の横暴。
地代を滞納し続ける米国大使館。それを許し続ける日本政府
都心の一等地である赤坂の大使館の地代を、なんだかんだイチャモンつけて滞納し続けてるそうです。

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地代踏み倒しの現責任者サン


植民地的略奪の年次改革命令書
郵政に続き医療や流通も

かの年次改革要望書の件。まったく仰るとおりな内容…。他人(日本人)の稼いだ富を収奪することになんの痛みも恥じらいも感じていない基地害要望書。

小沢一郎民主党代表の「辞任表明」と「前言撤回」―――オザワが恐れるのは何者か?
~米国による日本メディア監視システムの実態~(続編)

神奈川県座間の米軍基地内に、日本のメディアの監視と、政治経済界への諜報活動を行う部署があるそうです。嗚呼植民地ニポン。

ヤンキー・ゴーホーム!と叫びたい(笑)

80年代終わりにアメリカは東海岸からやってきた、お父さんが大学教授だというそれなりのインテリジェンスを持ってたアメリカ人が、イスラエルはクレイジーカントリーだ、と当時言ってましたが、中東やここ日本での横暴ぶりを見るにつけ、今やアメリカもイスラエルに並ぶ基地害国家に成り果てましたな…。
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by darsana-te2ha | 2007-11-11 01:07 | 日米関係
2007年 11月 04日
65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-3
 「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2」に引き続き、戦時中の高山岩男氏の著作からの引用の引用を中心に書かせていただきます。
 米英的世界観の中心となるエッセンスである「自由」と「平等」の間にある矛盾についてを中心に、下記に引用します。

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「『大東亜共栄圏』の思想」 栄沢 幸二著  講談社新書より
(P153~154より)
 「米英的秩序」は、世界の分割・支配をめざす弱肉強食の帝国主義的な「権力の原理」と、人格主義、デモクラシー、民族自決主義などの「倫理の原理」からなっている。
 後者の「倫理の原理」は、個人や民族を完成した絶対的な個体とみなし、この絶対的な個体は、相互に自由で平等な関係にあると説いている。けれどもこの自由と平等とは、簡単には結びつかない。「無制約な状態」(拘束の欠如)を自由だとするならば、この自由は「自由競争」を必然化し、「優勝劣敗・弱肉強食」の地獄を現出することになる。その結果は、当然のことながら不平等を出現させる。この不平等を平等な状態に戻すためには自由の制限が必要である。このことは自由の否定を意味する。
 以上のように本来結びつかない「自由平等」を端的に結びつくものと考える「個体絶対性の信念」を基礎にして「近代欧米文明の世界観」が出てきたのである。だから一方では優勝劣敗や弱肉強食の状態が世の中の実状となり、理論的にも「自然淘汰とか適者生存」とかが唱えられながら、他方では同じ「根源」から人間は「生まれながらに自由平等の人格であり個人」であるという「倫理の原理」が通用することになったのである。すなわち「個体絶対性の信念」という「根源は同じ一つ」のものから、一面においては「力」となり、多面においてはあたかも「力を否定」するかのような倫理が出てきたのである。
 近代の「国際世界秩序」や「社会秩序」を作った基礎原理は、要するに「力の原理」や「倫理的原理」とにあったのである。このような世界観の上で「力の面」だけを棄てて、「倫理の面」だけを維持することは不可能である。「別個の世界観」を樹立しなければならない根拠は、ここにある
(『思想戦と総力戦』昭和一八年)。

 欧米的な個としての個人や国家を前提にした世界観は、環境問題や貧富の格差、戦争の問題等、今日あちこちでその矛盾と限界が現れているようです。65年前に、それらの問題を超克するための思想戦として大東亜戦争を捉えていたという高山氏が理想とした「別個の世界観」は、65年前には実現されることが出来なかったようです。しかし、まさに現代の我々が引き継がねばならない問題なんでしょうね。
(その宗教的世界観や実践から、欧米的な個の思想を受け入れがたかった、イスラム社会や、中国の庶民が信仰してきたという道教が、これからの世界観の改変の大きなキーになるであろうと、ここで何度か紹介させていただいた山手國弘氏が述べておられましたね。)



 以下「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-4」にて、近現代のアングロサクソンの行動様式や資本主義の発展に大きく寄与したとされるプロテスタンティズムについて、補足的にちょっとだけ触れてみようと思います。
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by darsana-te2ha | 2007-11-04 13:13 | 日米関係
2007年 11月 04日
65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2
ちょっと間が開いてしまいましたが、「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-1」の続きです。

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 前回ちょっと触れさせていただいたように、今回は高山岩男氏による戦時中の著作からの引用の引用(「『大東亜共栄圏』の思想」より引用しました)を中心に書かせていただきます。
 以前ここで取り上げた石原莞爾氏とは違い、戦後も長く存命され、1993年に亡くなられるまで思想活動をされていたそうなので、今後その著作を読ませていただこうと思っております(先の大戦を思想面から先導した思想家として、終戦後はパージもされてしまい大変だったようですが…。確かにその思想を垣間見させていただくと、アメリカは嫌な顔をするでしょうね・笑)。

「『大東亜共栄圏』の思想」 栄沢 幸二著  講談社新書より
(P154~156より)
 高山岩男が批判した米英的世界観とは、近代西欧に生まれ、その後世界的な広がりをみせることになる自由・平等の観念を基本原理とする自由主義的な世界観のことであった。
 彼は個体の絶対性、つまり個に思考の価値をおき、個の自己発展や自立を重視する個人主義的な立場に立脚する米英的世界観に内在する「自由」と「平等」という、二つの原理相互間の一方を徹底させれば、他方が否定される関係になる矛盾をえぐり出した。そして彼は、「無制約の状態」(拘束の欠如)という意味の自由観が、現実には優勝劣敗・弱肉強食の自由競争を生み、さらには力の原理に立脚する帝国主義を現出させる、思想内在的な諸関係ないし限界を明らかにしたのである。
 高山のこの批判は、西欧近代の、自由とは他人の権利を侵害しない限りなにをしてもいい権利であり、平等とはこのような利己的な権利としての自由の平等ないし権利の平等を意味するというような、利己的な自由。平等観や、このような個人の自由の実現に第一義的な価値観をおく、利己的な自由主義の矛盾と、その歴史的な所産としての欧米帝国主義的のはたした役割の一面を暴露するものであった。この限りでは、彼の批判はあたっていたとみていい。ただ問題は、後述の日本的世界観が、米英的世界観ないし秩序原理を超克できるようなものであったかどうかにあった。
 ちなみに高山岩男の「世界史の哲学」では、一方では米英中心の「旧世界秩序」の歴史的転換をはかるとする「大東亜戦争」の世界史的意義を強調した、戦争美化イデオロギーとしての性格をもっていた。けれども反面では西欧世界の価値観や歴史的現実を基盤として形成された歴史理論ないし分析の枠組みを大前提とする、いわゆる近代主義的な歴史観や歴史研究に対する、先駆的な批判としての側面をもっていたように思われる。つぎのような彼の言説は、その具体的な現れであろう。
 近代の「世界史学」はヨーロッパの「世界史学」であり、ヨーロッパ近代の「歴史的現実」から出発したものであった。そこには「ヨーロッパ中心」とも評すべき「理念」が前提となっており、それが政治、社会、経済、思想、文化の隅々まで浸透していた。たとえば一定の発展段階を経過すべきものとされ、ヨーロッパが最高の発展段階に位置し、他は当然そこに到達すべき前段階にあると考える「発展段階説」に根本的な疑問を抱くものである。われわれは「歴史的世界の多元性」から出発して、その「世界的連関」を考察する立場へと進むべきである『世界史の哲学』昭和一七年)。

 まったくおっしゃるとおり、っていう内容で、今日的な問題提起を含んでいるご指摘ですね。米英支配層の本質である利己性と、それゆえに内在する帝国主義志向がこの65年間何も変わっていないということなんでしょう。

 米英的世界観の中心となるエッセンスである「自由」と「平等」の間にある矛盾についての考察は、「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-3」に続けます。
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by darsana-te2ha | 2007-11-04 02:05 | 日米関係
2007年 10月 27日
スティグリッツ教授が語る郵政民営化や、米系外資による日本の金融機関の三角合併の真の目的。
 現金が無くても、親会社の株式の時価相場額を使って日本の企業(の株)を買えるようにした三角合併解禁は、コイズミ改革による日本経済「グローバルスタンダード」化の一貫として法案化されたものですよね。
 で、結果として東証の平均株価の8倍前後をつけてるNYに上場してる株式会社を親会社に持つ企業のほうが、有利に日本企業の買収をかけられるようになったそうで。

 先だっても日興コーディアル証券が三角合併方式でアメリカのシティの傘下に収まるべく買収されてましたね。

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 先日書いた「これをもし本気で言ってるなら、財務省の情報分析力に疑いを持ってしまいますが…」にも共通する内容ですけど、ノーベル賞受賞の経済学者スティグリッツ氏の下記の発言を、日本の優秀な財務官僚がどこかで聞いていてもおかしくないし、理解出来ないとも思えないのですけどね(笑)。
 ただ、先日発覚した財務官僚による集団婦女暴行事件などを見てると、彼らのアタマの悪さ、状況判断の甘さを強く感じてしまうんで、なんとも言えませんな(笑)。

 以下、コロンビア大学のスティグリッツ教授(経済学)によるテレビ上での発言を文章にしたものだそうです。
 もう4年目のブログ記事ですが、ここに書かれていることがまさに進行中ですね。

機関投資家の見るマーケットより
③日本の巨額な赤字財政を続けられるのはなぜか。日本の巨額な預貯金と、巨額なドル建て債券が、国家の財政赤字の穴埋めに使われているからアルゼンチンのように円は暴落することがなく、かえって高くなっている。日本が経常収支で黒字の間は財政も破綻することはない。しかし米国が経済破綻してドルが大暴落した場合、日本経済にも破綻がやってくる。中国も対米黒字国だが日本とは違ってユーロへのシフトは確実に進んでいる。対米黒字をユーロでヘッジしておけばドルの暴落も回避できるが、日本の政府・日銀は米国の脅しによってシフトができない。ならばせめて民間だけでもドルからユーロへシフトしておくべきだ。米国はそれを警戒して日本の金融機関を米国の資本で買収しようとしている。小泉首相や竹中金融大臣が日本の銀行や生保を米国に売り渡そうとするのも、日本の民間資金のユーロシフトを恐れているからだ。最終的には最大の金融機関である郵貯も民営化して米国へ売られる。しかしそんなことをしてもその前に米国は破綻する。


 引き続き同ブログから、内容の順序が前後しますが引用します。
①米国財政は極めて短期間に巨額の赤字を出すようになり、景気対策の名のもとに必要以上の減税が行われ、戦争と言う財政の大盤振る舞いが続いているが、こんなことが長続き出来る訳がない。米国の絶頂期の1960年代ですら、ベトナム戦争でバターも大砲もといった大盤振る舞いが「ドル暴落」のきっかけとなった。双子の赤字問題がいつまで表面化せずに続けられるのか分からないが、いずれ第2のニクソン・ショックが日本を始め世界に衝撃を与える。福井日銀総裁がドルを買い支えているうちに、出来る人は外債をドルからユーロ債に切り替えておいたほうが良いだろう。

②米国もやがてはアルゼンチンのようになり、ラテンアメリカ化し、米国債の利払いも滞るようになり、債務不履行も避けられないだろう。福井日銀総裁は今年だけですでに(為替介入を通じて)13兆円もの金を米国に貸し付けている。借りた米国は借りた金で日本の株を買ったり日本の自動車やテレビを買ったりしている。それで日本はそれだけ豊かになったのか、むしろ貧しくなっている。円がいくら高くなったところで米国から買うものは食糧や飛行機などの限られたものでしかない。

 外資による政治献金も自由化されたし、アメリカから還流した日本マネーのオコボレに預かれる、という旨みが一部の方々にはあるんでしょうね。責任ある立場にある筈の方でさえ、自分さえ儲けられれば日本全体のことなんか知ったこっちゃない、ってとこなんでしょうか。

(ブログ管理者注:上記記事にあるスティグリッツ教授のテレビ上での発言を直接視聴したわけではありませんが(=ウラをとってない)、引用元の内容を元にタイトルにスティグリッツ教授の名前も入れさせていただきました。)
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by darsana-te2ha | 2007-10-27 14:47 | 日米関係
2007年 10月 21日
65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-1
 n様からのコメント情報によれば、去る10月18日に、アメリカさまから恒例の“内政干渉イニシアティブ(笑)”年次改革要望書が発表されたそうですね。

 下記ブロガーの方が早くも邦訳されてます。
 内容はと言えば、まったく余計なおせっかいつうか、相変わらず“オマエは何様か?”的利己的な要求の羅列じゃないでしょうか(苦笑)。

或る浪人の手記 2007年版「年次改革要望書」超適当訳

とむ丸の夢 年次改革要望書 「郵政民営化」部分の訳(10月22日夜追記)

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 米英を支配してる国際金融資本の親分たちであるアングロサクソンやユダヤの方々の、利己主義や選民意識は今日に始まったことではないようですが、戦前の日本人は彼らに対して、現在に比べると警戒心を持ってたようですけどね。戦後60年余にわたる洗脳の怖ろしさと、同時に手の平返したように変わってしまった我らが日本人の情けなさもちょっと感じてしまいます(逆に言えば、そのへんの変わり身の速さが日本の勁さでもあるんでしょうけど。外から見るといきなり方向転換することに恐怖を感じるのかもしれませんね(笑))。

 冷戦期間中のアメリカが日本に寛大だったのは、日本が対共産主義のショウウインドウや砦としての役割ゆえだったからだそうです。1990年までの戦後45年間は日本にとって、いわば特殊な“モラトリアム”期であったのでしょう。ただおかげでその間に、終戦直後の焦土から世界2位、しかも1位のアメリカを脅かすまでの地位に経済的に成長する事が出来たわけですが…。

 しかし、冷戦が崩壊し日本に気を使う必要のなくなったアメリカは、その本来の姿である牙を剥き始めたようですね(実際、国連の敵国条項に日本がまだ入ったままであるわけですし)。親米ポチ保守の方々は、冷戦期という特殊な状況下でのアメリカの姿を未だに追っているんでしょうかね。今のアメリカが本当の姿なのか、冷戦期のアメリカが本当の姿なのか、一体どちらなのでしょう…。

 下記に引用したのは65年前の日本人による英米分析です。年次改革要望書のような、利己的な圧力をかけてくるアメリカ様が、当時とそのまんま当てはまってしまうところが実に空怖ろしいところですが。

 引用文中にたびたび出てくる「大日本言論報国会」というのは徳富蘇峰氏が会長をしていた、対英米戦争の戦意高揚のための半官半民の思想家組織だったそうです。その思想を全て肯定するわけではありませんが、英米に対する分析は、現在にも通ずるなかなか鋭いものがあったように思います。

「『大東亜共栄圏』の思想」 栄沢 幸二著  講談社新書より
(p157~158より)
 大日本言論報国会常務理事斉藤忠は、米英的世界観の特質は、「個人主義的世界観」にあり、その精神が「利己我欲」の「利己精神」にあるとして、つぎのように主張していた。
 米英の世界観は、その究極の価値を個人におき、個人を以て至上のものとみなし、人生の究極の価値を個人においている。(中略)
 また彼らは、個人の平等という現実にはありえない観念に立つがゆえに、質の相違を無視し、ただ数の力にたよるようになるのである。このような「個人主義的、自由主義的世界観」が、デモクラシーを生み、共産主義に見られるような「階級利己の原理」を派生させることになったのである。その他、経済的には資本主義、社会的には個人主義、法律的には極端な権利・義務の「契約思想」を生み出した。また、国際的には、侵略主義や名目的な平等の仮面下で強国の「利己支配」の結果を出現させたのである(大日本言論報国会『国家と文化』昭和一八年)。
 さらに斉藤は、つぎのように述べている。
 英国の物質的繁栄は、対外的な侵略と内外にわたる搾取によるものである。米国も、モンロー主義の名のもとに南北両大陸への「侵略と搾取」をおこなってきた。またその領土保全、主権尊重、門戸開放の主張も、「支那」における自国の市場の維持・拡大の手段でしかなかった。そこに流れているものは、あくなき「我欲と傍若無人」な「利己」の主張でしかない。国際連盟も第一次世界大戦の勝利者としての英米の利己的な現状維持、英米仏によるヨーロッパの支配権を確保するための「欺瞞の機構」に他ならず、この「利己の秩序」を偽装するための看板として用いられたのが「民族自決」と「集団保障」の二原則であった。
 「英米的国際経済秩序」は、諸国家・諸民族間の「利己的立場」に基づく無限の対立を生むだけでなく、国内的に絶えざる「相克と闘争」を引き起こすものである。このような対立敵対的な「秩序の精神」は、ヨーロッパ諸民族の「本然のあり方」であった「共同社会的構成」の喪失による「西洋的利益社会」、つまり市民社会の発生とともに始まったのである。

(P158~159より)
 たとえば、大日本言論報国会理事穂積七郎は,米英両国の自由・平等・機会均等の「政治スローガン」の実体はアングロ・サクソンの「民族利己主義」にあると批判した(大日本言論報国会『国家と文化』昭和一八年)。また、同会専務理事鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)も、米英の自由主義とは、何をするのもわがまま勝手、すべてわがままに生きていく利己的生活態度のことで、その政治的表現がデモクラシーであり、経済的には「自ら利する利己」つまり「利潤追求」に他ならないと指摘した(大日本言論報国会『思想戦大学講座』昭和一九年)。

(P151より)
(大日本言論報国会常務理事野村重臣著『戦争と思想』昭和一七年より)財界人が「ユダヤ追随主義者」となり、「英米依存論者」になるのはユダヤ国際金融資本の「オコボレ」を頂戴しようとの「乞食根性」に「因由」するものである。経済的にユダヤの最も恐るべきは、わが国民経済の全体が、機構的にユダヤ国際金融資本に従属し、財界がその意のままに「死命」を制せられることにある。個々の企業方針だけでなく一国の経済政策や政治・外交政策までが干渉され、さらには「思想、観念、世界観の根本」に至るまでその支配を受けるようになる点である。

 最後の野村重臣氏による65年前の警告は、悲しいかな今現在、現実となって日本を覆ってしまいましたね。

 上記で引用させていただいた「『大東亜共栄圏』の思想」の中で著者であられる栄沢幸二氏もおっしゃっておられましたが、英米の利己主義を批判し、東アジアでの彼らの植民地を解放するという大義名分がありながら、大東亜戦争に於いて日本は英米と同じ利己主義を東アジアの民族、国家に押し付けてしまった、というのもまた事実でしょう。
 しかし、年次改革要望書のような、アメリカという強国による利己的で理不尽な要求に翻弄された経験を既に持ってしまったわが国は、逆にアジアの国々や民族が過去に受けてきた屈辱感を、理解するには良い経験になったのかもしれません。その経験も生かしつつ、世界のより多くの人々が希望や幸福をシェアできるような次の新しい人類史のステップに向けて、日本が経済的もしくは人的な貢献を出来るといいんですけどね。

 以前ちょっとだけ触れた京都学派の高山岩男氏について、「65年前とその本質が全く変わっていない英米支配層(アングロサクソン+ユダヤ)。-2」に続けます。

(太字は全て当ブログ管理者による)

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by darsana-te2ha | 2007-10-21 02:13 | 日米関係
2007年 09月 02日
「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-4
 「『価値観を共有する日米関係』の欺瞞-本論-3」からの続きです。

 引き続き「やきそばパンの逆襲」 橘川幸夫著 2004年河出書房新社刊から引用します。

 経済(=カネ)だけが、そのパワーとアイデンティティの源泉になってる構造のアメリカという国家のシンドさ、とアコギさについてを中心に引用しました。

(p76~77より引用)
「そうなんだよ! ハワイがどうしてアメリカの州になったかというと、ハワイにあった白人のプランテーションの経営者たちが武装して軍隊化し、ハワイ先住民のコミュニティを軍事的にのっとってしまったからなんだぜ。もちろんアメリカ本土だって、ネイティブ・アメリカンの大地を軍事的に強奪したわけだからな。これは歴史上のことではなくて、今、中近東でアメリカがやってることは、同じことだ。アメリカは、自らの大地を持たないのだから、民族的国家観なんか、持ちようがない。自由とかいう抽象的な概念しかアイデンティティを主張する根拠がないんだ。それで、ハワイの民族が、なぜ、反乱を起こさないのかというと、アメリカの支配になって、物質的な豊かさが保証されたからだ。だから、逆に言うと、アメリカというのは、永遠に経済活動を成長させていかないと、あらゆるところに反乱の可能性を秘めているという共同体なんだよ。毎年売り上げを前年比以上に高めないと倒産してしまう企業みたいなもんだ。民族国家というのは、たとえ国家経済が破綻しても、民族そのものは残るんだ。(今のイラクを見ればよくわかりますよね。/引用者注)アメリカが経済成長のために、どんな無茶なことをしても国民が合意してしまうのは、自分たちが永遠の高度成長なくしては存在しえない経済民族であることを知っているからだ。日本とは基本的に国家の土台が違うんだから。アメリカと同じ政策なんか本来あり得ないんだよ

 ここで日本の話に戻ります。
(同書p78~79より引用)
「要するに、構造改革と言ってるが、これは明治以来の近代化そのものなんだと思う。構造改革によって、日本は合理的で実力主義の国際社会になるかもしれないが、反面、破壊される内部構造というものも悲惨なものになるだろうね
(中略)
「(小泉内閣の支持率の高さはなぜだったかといえば)日本人というのは、絶妙なバランス感覚があってね。田中派が戦後築き上げた利権構造を崩すには、小泉のようなドライなインテリの力が必要だと思ったんだろう。しかし不幸なことに小泉は壊す意志は強かったかもしれないが、次の構造を築くだけの構想力がなかったんだろうな。田中派(自民旧経世会→平成研究会・津島派/引用者注)にしても、利権構造を守るのに長けた連中は大勢いても、田中角栄のように、ゼロから利権構造を築くようなスケール感のある政治家はいないしな。小泉の失敗に対して揺れ戻しがあったとしても、受け皿の民族派にキャラクターがいないというのが日本の不幸なところだ。……」

 民族派と国際派が自民党内でうまくバランスをとりあって、これまで両者の中間的な政策をとってきてものが、ここにきての民族派たる田中派(旧経世会)の弱体化によってバランスが崩れたなかで、国際派エリートに軸足を置いた清和会が推し進める新自由主義的な政策が前面に出てきてしまったんでしょうね。今回の参院選での小沢民主党の勝利は、民族派大衆からの巻き返しともとれるかもしれませんね(「『価値観を共有する日米関係』の欺瞞-本論-3」から読んでいただくとここいらのことはわかりやすいかもしれません)。

 話を再びアメリカに戻します。勝ち続けてきたエリート国家アメリカと、民族国家である日本との関係についてです。
(同書P80より引用)
アメリカの方法論というのは、日本に無茶な要求をして、それを素直に受け入れて隷属してくれればよし、逆に反発して満(この本の登場人物/引用者注)みたく単純な反米・嫌米になって牙を剥けば、叩き潰す口実になるから、それもよしという、どうやっても勝利以外はない強者の論理なんだ。ただ、このまま行くとアメリカはヨーロッパにおける英国のような同盟関係の意識を日本に要求してくるだろうから、国民は大きな選択を迫られるだろう。アジアの一員として生きるか、アジアの中の国際派の牙城となる道を選ぶかだ。アメリカにとって日本の戦後処理は大成功だったから、イラクも日本と同じように中近東における国際派の拠点にしたいのだろう」
知的植民地政策ってか

 この本が指摘するような国内の民族派大衆と国際派エリートとの対立という視点から見ると、今の安倍首相の志向はどっちつかずで中途半端ですね。私学出身だし、本来なら民族派のリーダーとして行動していけば安倍首相は、それこそ「日本のプーチン」になれたかもしれないのに、祖父・岸信介氏へのコンプレックスが強すぎるのか(笑)、国際派エリートを目指す言動が目立ちます。自分で自分の墓穴を掘ってるとしか思えないんですけどね(笑)。安倍首相のそんな中途半端なやり方ですと、日本の大多数の国民大衆も大きな損失を被ってしまうのではないかと心配になってしまいます。また、エリート国際派の系譜たる旧福田派清和会が選挙で幅広く支持を集めるには、カルト巨大宗教と、“勝ち組”経済界をバックにしたマスコミの大きな助け無しでは難しい、ということなんでしょうか。それもまた今の政府自民党の政策を、多くの国民から乖離した、ねじくれたものにしてるような気がします。


 最後に本論とはちょっとずれた内容ですが、上記の「やきそばパンの逆襲」を読んで思わず笑ってしまったところを引用します(p77より)。
「僕、よくわからないんですけど、アメリカにあれだけ追随してる小泉さんが、なんでアメリカと戦った人たちをまつる靖国神社の参拝に熱心なんですか?」

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by darsana-te2ha | 2007-09-02 16:17 | 日米関係
2007年 09月 01日
「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-3
  「『価値観を共有する日米関係』の欺瞞-本論-2」からの続きです。

 以前、キヤノンのコピー機「保守費」の理不尽や、アメリカという国家の特殊性についてその著書「暇つぶしの時代-さよなら競争社会 」を引用させていただいた橘川幸夫氏の、別の書籍からの引用です。日本とアメリカの国としての成り立ちや根本的なところでの価値観の違いについて、小説形式で複数の人物に語らせる手法を使って上手に解き明かしておられます。

「やきそばパンの逆襲」 橘川幸夫著 2004年河出書房新社刊 p73~76より

 まず、明治以来現在まで、近代化を進めていく中での日本に、少数の“国際派”エリートと、多数の”民族派”大衆との対立という大きな構造があることから入っていきます。
「小泉政権というのは、福田派(自民旧清和会→清和政策研究会・町村派/引用者注)の怨念が田中派(自民旧経世会→平成研究会・津島派/引用者注)の利権構造を破壊しようとしてることだな。これをもっと大きな枠組みで見ると、明治以来の国際派というエリート官僚たちと、大衆的な農民を地盤にした民族派との対立構造があるんだ。国際派の背景にあるのはアメリカであり、メッセンジャーが竹中平蔵なわけだ。国際派は一貫して西洋近代思想を日本に導入することによって、日本の大衆意識を変えようとしてきた。」

(中略)
「(福田派というのは)岸信介から佐藤栄作につながる、東大卒のエリート官僚組織の系譜だな。田中派は、田中角栄がシンボリックだけど、叩き上げの土着民族派だ。竹下登にしても、小沢一郎にしても、私学出身が多い」
(中略)
「……。エリートは競争社会の勝利者だから、競争が好きなんだ。企業を作って、企業同士が競争する社会を目指したわけだ。だけど、一般大衆はアジア人だから、馴れ合いや談合のようなコミュニティ尊重型の体質なわけだ
「日本の近代社会というのは、常に少数の国際派エリートが大多数の民族派大衆を支配するというピラミッド構造だったんだ。官僚の中でも、少数のキャリアが多数のノンキャリアを支配してるだろう? これは国家権力の内部だけでなく、例えば左翼運動にしても、国際派コミンテルンと大衆派の労農派の対立という構造があった」
「エリートが外国の事例や思想を勉強して、あたかも自分の考えのように語るのが近代日本のインテリの本質だからな」

 以上のような少数エリートと多数派大衆というピラミッド構造は、日本は勿論のことその他の伝統的民族コミュニティに乗っかった近代国家であれば、どこでも同じような構造なのではないでしょうか。ただアメリカだけは、伝統的な民族コミュニティというものに縛られていないということで、国家の構造やあり方が日本を始めとした民族国家とは違っている、ということが書かれています。
「イラク戦争というのも、民族派の親分(ボス)であるフセインの排除という構造だな」
「そう、まさに、民族主義というのは、常に民族の親分を必要とするからな。アメリカというのは、実は国家というよりも会社に近いものなんだ。利益獲得を目的とする集団なんだ。国際派の方法論を強力に推し進めると、抽象的で合理的な共同体運営論になる。イラクのような国家であれば(そこには日本も含まれるでしょう/引用者注)、そこに生まれたものは、どんなに弱くても才能がなくても、民族の一員として国家が面倒を見る。面倒を見るというのは西洋的な福祉の論理ではなくて、存在証明を行いアイデンティティを与えるということだ。その代わりに他民族に対してには排他的になるし、他国から見れば独善的に見える。しかし、それが本来、民族国家というものの普通のスタイルだったんだ。アメリカは会社だから、優秀な人材は外部からどんどん吸収していくが、落ちこぼれは無視していく構造なんだ


以下、引き続き「やきそばパンの逆襲」をネタに、「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-4」に続けます。
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by darsana-te2ha | 2007-09-01 01:44 | 日米関係
2007年 08月 24日
「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-2
「『価値観を共有する日米関係』の欺瞞-本論-1」からの続きです。

タイミングよく下記のようなメルマガ記事がありました。

ロシア政治経済ジャーナル No.473 「★反米の砦・上海協力機構の求心力」より

つまり、SCO(上海協力機構)には、無神論・キリスト教・イスラム教・仏教の国々がいる。

要するに「宗教はどうでもいいです」ということでしょう。

SCOの理念を一言でいえば、



「多様性を容認し、実利に基づいて共生していきましょう」(^▽^)



となる。

なんか、中国とロシアがいうとウソっぽいですが。。。

両国がすばらしいからこうなったのではありません。

アメリカに対抗する思想として、自然に出てきたのです。



「大王(劉邦)は要するに項王(項羽)と反対のことをなさればよいのです。

天下に武に長けた者があればどんどん任用されよ。功をたてれば、惜し
みなく天下の町をおあたえなされ。

さすれば、項王の悍強はついにみずから折れざるをえません」

(司馬遼太郎 「項羽と劉邦」←(北野10回読んだ傑作です。)
上 http://tinyurl.com/9wwpg
中 http://tinyurl.com/cwfg7
下 http://tinyurl.com/dadzs
軍事の天才韓信が劉邦に献策した言葉)




こういう中国とロシアの外交が着々と成果をあげていること、SCOの影響力拡大からもご理解いただけるでしょう。

一方、(項羽のように)軍事力に頼るアメリカの威信は失墜してきています。



「ブッシュ大統領は世界の脅威2位」英紙の世論調査

(中略)

(読売新聞) -06年11月4日」



調査が実施されたのは、英国・カナダ・イスラエル・メキシコで親米国家。

それでこの結果ですから、他の国で調査されればどうなることやら。

ちなみに、日本はアメリカの真似をして、「『自由』や『民主主義』など『普遍的価値』をひろげる」のが外交の基本方針になっていますね。

(中略)

日本の対中国ODAは民主主義をひろげるため?

日本の対北朝鮮コメ支援は民主主義をひろげるため?

日本が独裁の中東産油国と仲良しなのは、民主主義をひろげるため?

事実をいえば、日本は中ロよりも早く、「政治・経済体制にかかわりなく、すべての国と仲良くし、支援する」という共生外交を展開していた。

中ロは、日本のすばらしい外交方針をパクったともいえるのです。

当の日本は今になって、世界一嫌われているアメリカの外交方針をマネしようとしている。


皆さんこの点どう思われますか?
(太字=引用者)

 過去の実利を元にした柔軟な外交が実は世界の安定、日本の経済のためには役立っていたということでしょうね。またそれを可能にする多様性への対応が出来る価値観というか文化的伝統が日本にあった、ということでしょう。
 ところが、90年代以降の経済の混乱から来る自己反省と、アメリカ礼賛に洗脳された方々が日本のトップを占めることで、そのような日本の外交、経済姿勢を悪とするコンセンサスが出来上がってきてしまったんですよね。ま、そのへんの変わり身の速さも日本的っちゃあ日本的なんですけどね(笑)。

 日本よ、アメリカと一蓮托生で破滅の道に向かう無かれ、であります。
 2010年頃に起こるであろうドル暴落とそれに続く政治経済の混乱によって、アメリカはヘタすると連邦制が崩壊して一部の州が独立(例えばハワイとかカリフォルニアとか)なんて事態も起こり得ると個人的には妄想をしておるのですが…(^^ゞ

「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-3」に続けます。
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by darsana-te2ha | 2007-08-24 13:03 | 日米関係
2007年 08月 19日
「価値観を共有する日米関係」の欺瞞-本論-1
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 先だってちょっと触れました「『価値観を共有する日米関係』の欺瞞」の本論を書き始めたいと思います。

 今回は「ぼくらに英語がわからない本当の理由」という本の引用を中心に書かせていただきます。

 著者である岩谷宏氏は、英語の翻訳のお仕事をされてる中で、英語と日本語の間にある大きな溝、いうなればそれぞれの文化が持つ物事の価値観の大きな差に気が付かれたかれたそうです。

 モノや人との関係がお互いが不可分で影響し合い、変化、生成していくことを前提にしたあり方を「事(こと)」と呼び、反対にモノや人が、無であるところの空間に独立して存立することで、相互作用や変化を認めないあり方を「物」としておられます。前者が日本語のバックにある価値観・世界観であり、後者を英語のバックにあるそれらであると喝破しておられます。

 以下紹介させていただく氏の著書の中で、日本は元来、「事」を前提とした世界観を持っており、逆にアメリカも含めた欧米では「物」としての世界観を持っていて、そこには大きな価値観の断絶というか矛盾があると、氏の専門である言葉を媒介に自論を展開しておられます。

「ぼくらに英語がわからない本当の理由」 岩谷宏著 P13~14より引用(太字=引用者)
 なぜI am boy. ではいけないのか。日本語では当然「ぼくは少年です」でよい。

 I といえば(We ではないのだから)単数に決まっている。それなのに、なぜわざわざ、a という“ことわり書き”を boy の前につけるのか。さて、以下が本論。

 英語の名詞は物を指示する。

  ※「物」という言葉を「存在物全般」という意味で使う。

 日本語の名詞は、単数であることの暗黙の前提としているところが英語と違うだけで、本質は英語と同じく物の指示詞か、といえばそれも違う。日本語では「……たち」、「……ども」等を使わなくては複数を示せないのと同様、英語でも boys としなければならないのだから。

 ゆえに、またぞろ、「boy は単数やんけ。なんでわざわざ a をつける必要あるんや」と言いたくなってくる。

 英語の名詞は、a, the, s 等が付くことによって、物の指示詞として完成するのである。a は日本語では、「あ、ちょっと…」とか、「あ、これこれ、これよォ!」とかの「あ」、つまり、ものごとの特定点への注意を促す「あ」にほぼ相当するようにも思われる。

 日本語の名詞は、物の指示詞ではない。事の指示詞である。「少年」は、「少年というもの」を指示するのではなく「少年ということ」を指示するのである。ゆえに、主語が複数となっても「少年」でよい。例「おまえらは少年だ」

 引き続き同書 p15~16より引用します(太字=引用者)。
 で、じゃあ、日本語で(事ではなく)物を指示したい、という不心得物がおったら、そいつはどうすればええか。驚異的な発見であるが、日本語ではそれは不可能なのである。

 逆に英語で事を指示したいと思ったら、being a boy とか、to be a boy とか、ややこしくなるし、そもそも、I am a being a boy などとやると、それすら再び物の指示詞になってしまう。どもならんのォ、である。

 日本語では事(コト)は言(コト)であり、音声や文字を用いてカタチとなった言(コト)は、したがって、コトバ<--コトのハであって、けしてモノバではない。これはこの本全体の基本テーマであるので、ここでは簡単にのみ触れておく。
(ついでに、この本全体への注として:アル・ナイ(=在る・無い/引用者注)の成り立つのを「物」、アルしか成り立たないのを「事」と呼ぶことにする。くわしくは No,Not の項を。)


 最後に出版社のサイトにある、この本の推薦文から引用します。

「ON BOOK」サイト内
■本書を推薦します
「日本人必読の名著、25年ぶりの復刻を心から慶びたい」
金谷武洋/モントリオール大学東アジア研究所日本語科科長

より引用(太字=引用者)
 本書は、英語と日本語の根っこを支えている発想がいかに違っているか、そしていかにその違いが指摘されないできたかを訴える力作である。その発想の違いこそが「僕らに英語が分からない理由」なのだ。全体として秀逸な「英語を鏡としての日本文化論」になっている。絶版になって久しかった名著が25年を経て復刻されることを心から慶びたい。
 「a」から「Wild」までABC順に様々なキーワードごとに日本文化と英語文化が「腑分け」されていくのだが、そのトップバッター「a」がいきなり場外ホームランだ。僕がこの本に一番啓発されたのは、ここで展開されるコトとモノの区別である。岩谷氏は「I am aboy」の「a boy」はモノだが、「僕は少年だ」の「少年」はコトだと喝破するのだ。モノだから「a」と数えられる。一方、「少年」は「少年であるモノ」ではなく「少年であるコト」を指すのだ。だから複数でも「僕らは少年だ」と言える。
 こう岩谷氏に説明されると、数量表現が英語と日本語で違うことに気付く。「Three boys came」と「少年が3人来た」を比べてみよう。Threeの方はモノを数えるだけだから形容詞的にboysの前に来るが、「3人」は「少年が」の前でも後ろでもいい。こっちは「少年が来た」というコトにかかる副詞だからだ。誠に、日本語の事(コト)は言(コト)なのである。そこから「コト+ハ=言葉」が生まれ、「私のコト、好き?」とも言えるわけだ。安易な「英語公用語化論」や英会話学校の氾濫する今日の日本だが、その発想が日本語とどう違うのかを明快に解く本書は、初版から四半世紀たった今なお日本人の必読書である。

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by darsana-te2ha | 2007-08-19 15:55 | 日米関係
2007年 08月 04日
「価値観を共有する日米関係」の欺瞞
 2005.9.11の衆院選での小泉自民党の圧勝と、それに続く従米売国派前原党首の下でオカシクなった民主党と、ここ1~2年の日本の政治状況はまったく困った状態でしたが、今回の参院選で、どうにか最悪の状態からは脱したかのように見えます。

 首相に居座ったままの空気の読めないブザマな安倍首相ですが、これもひとえに小泉首相による自民&日本破壊の結果であるという立花隆氏のご意見に納得してしまいました(立花氏は時々ピント外れなことをのたまって疑問を感じることもあるんですが(笑)、今回のご意見には納得できました)。

 そんな安倍首相が良く口にする「価値観を共有する日米関係」の欺瞞について、検証をしていきたいと思っておりますが、あれこれ多忙で仕事が一段落した時点でちゃんと書かせていただきたいと思ってます。

 80年代の中曽根内閣から本格化し始めた売国新自由主義化路線、ここに極まれリな今日この頃ですが、日本の政治状況をおかしくしている大きな原因の一つである(共産党宮本氏もその一人だと思ってましたが、今回の氏のご逝去で今後共産党が市民レベルでマトモな物事の判断をしていただける党になってくれるといいんですけど…)中曽根“長老”の一日も早い影響力低下の日を、個人的に望むものであります…。
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by darsana-te2ha | 2007-08-04 17:46 | 日米関係