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2006年 08月 05日
別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-1
 90年代初頭に、山手國弘さんがご自身の現代ヨガでの体験を元に、社会科学的な見地から世界の現状や今後について説かれた中の、アラブと西欧近代との問題についての部分からの引用です。世界の国境はこの頃から多少変化がありますが(たとえばソ連、これは既に無くロシアほかの国々に解体され、逆にECは統合され拡大EUになっておりますが…)、2006年現在にも充分通ずる内容だと思われます。
 石油利権やイスラエルの国境問題とは別の、宗教から来る世界認識の方法や、社会文化的な側面から見たアラブと西欧的なものとの対立の原因と今後についてです。ハンチントンの「文明の衝突」にも近い内容ですが、山手氏は、西欧的な個と全体とが対立する価値観の衰退を予想されています。

http://www.demeken.co.jp/tokiwa/meta/sougyo/71.htmlより

(引用開始)
いずれにしても東西の問題は一応の決着がつきそうになっています。ところが、南北問題はこれからでしょ。それが現われているのが、今のイラクだと思います。イラクの問題があれだけ深刻に出てきた始まりは、近いところではアフガニスタンですね、結局イスラムの問題ですから。イスラムと近代経済社会、近代工業社会との衝突の問題です。キリスト教は原理的にはユダヤ教で、キリスト教のさらに徹底的な宗教改革がイスラム教なんです。ですから、パラダイムとして根っこは同じですけれども、類縁関係をもちながら、ユダヤとアラブはほとんど同じ民族でありながら、かなりかけ隔たれたパラダイムになってしまっていますね。
ユダヤ民族はセム族で、アラブ民族はハム族。セムもハムもほとんど同族です。神話でも同族というのは描かれていて、兄弟がユダヤとアラブに分かれたことになっている。もちろんパラダイムの元になっている旧約聖書も共通です。

それでは、なぜあんなに激しい対立をするのか、ほかの世界から見るとちょっと奇妙ですけれど、あの中には実は東西問題の、さらに未来に向けての延長線上の問題がひとつあると思うんです。 南北だけじゃなくて東西問題の延長があるというのは、アラブの回教徒の場合はユダヤ教キリスト教徒と違って、経済原理に相当大きな変革がありますね。例えば利子をとってはならないというのもそれに当たるんですが。専門家も見落としている大きな変革というのは、徹底的な宗教改革によって、実は人類のアイデンティティをものすごく変えているのがアラブだということです。アラブが奇妙でわかりにくいとよく言うのは、人間と人間の間の契約についてはルーズだということですね。商取り引きでも個人間のいろんな約束事でもそうですが、約束通りしない。道を教える時も正反対の道を平気で教えて、違ったじゃないかと言っても、しゃあしゃあとああそうですかという程度で、人間間の約束やつき合いについては、重点を全くおいていない。もちろん人間間ですから、国家と国家の約束についてもそれほど重点をおかない。

ところが、“人間と神”という言い方をするんですが、人間と宇宙原理とでもいう関係においては、ものすごく真剣になるらしい。宇宙原理に従うことにおいては厳密にそれを規定しようとするし、背くことには恐れを抱くんですね。死んだあとあとまでも運命が決まってしまう。だから、宇宙原理に従うか従わないかは、彼らにとって死活の問題らしい。 そこで考えられることは、アラブは人間間の約束事、社会的な約束事について比較的曖昧で、近代西欧社会は非常に契約的に厳密にやる……人権を尊重する、個を尊重する……やり方ですよね。そのどちらが未来的かというと、どうもアラブのほうに軍配が上がるような気がします。

どうしてかというと、今まで西欧のヒューマニズムに完成してきた、個の思想に完成してきたものは、人間という立場の重視、ヒューマニズムですよね。これは宇宙においては錯覚ではなかったか、という考えが出てくると思うんです。人間がもつ自然物という原則から逸脱しがちになりますよね。ひとり合点になる。地球上に余力がある場合、フロンティアが多い場合はそれでやっていけます。まあ、しわ寄せを自然に押しつけて、人間中心の生き方、生活様式をとり、社会的な構成をして、その揚げ句の果てに起きたものが公害だったんですけれど。それでもまだ余力のあるうちはいいけれども、環境問題が出てきたりすると、自然のサイクルに従わないといけなくなる。これはヒューマニズムとは違いますね。いわゆるオントロジー(Ontology。哲学用語で存在論のこと。ここでは主客一如、認識する側とされる側は一体であるといった意味で使われているようです/当ブログ管理者)に近い。

ヒューマニズムは、個の思想です。個を基準とした宇宙観。結局フェノメノロジー(phenomenology=現象学。ここでは主客分離、すなわち認識する主体と対象が乖離した形で世界を認識すること、いわゆる西欧自然科学的なものの見方を指しているようです/当ブログ管理者)になる。個が基準ということは、結局形あるものが基準ということですから、フェノメノロジーになりますよね。これは、この前の回で取り上げたオントロジー、本体論の裏返しです。その裏返しのほうにこれから近寄るだろうと推測できるんですが、その圏内で見れば、裏返しに近寄った始まりが、ユダヤ教、キリスト教に続くイスラム教であったと言えると思います。 ヒンズーとか中国の思想はまた違いますが、中近東辺りやヨーロッパに広がった思想の中では、生活様式の変化とか、社会、経済原理の発展が、全部個の原理に並行していますから、現代の文明社会をつくっている経済原理や科学技術の原理、工業社会の原理は、明らかにユダヤ教、キリスト教の延長ですよね。そこへアラブが後発の形で……宗教改革はずっと以前に行なわれたんですが、それを近代社会に体制として現わしてくるのが遅れていますね。これが今、出てるんだろうと思うんです。

ですから、人間関係とか社会関係がとても曖昧に見えるのは、実はアイデンティティ、リアリティを形あるもの、個々の単位や人間という個の立場におかないで、場や、ついには神と彼らが言っている宇宙原理、宇宙のほうにアイデンティティ、リアリティをおいた場合のものの解釈、生活の編成の仕方、社会の構成の仕方、ここへ無意識のうちにもっていっているからです。これがアラブだと思うんです。ですから、アメリカもヨーロッパも理解できない。(太字=当ブログ管理者)
(引用以上)


「別の側面から見たアラブとアメリカ+イスラエルの対立問題-2」へ続く

by darsana-te2ha | 2006-08-05 03:06 | シオニスト・ネオコン


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